日本企業による対米投資が、現在、かつてないほどの「ブーム」を迎えています。その背景には単なる経済的合理性だけでなく、地政学的緊張の高まりの中で「経済安全保障」を最重要視する、戦略的な意図が強く働いています。
この対米投資拡大の動きは政治と経済が連動する形で急拡大しており、2025年2月、石破前総理が米ワシントンでトランプ大統領と会談し、日本企業の対米投資を現在の年間約8,000億ドルから「1兆ドル(約151兆円)規模」にまで拡大する方針を発表しました。日本は2019年以来、5年連続で世界最大の対米投資国であり、両者は日米関係の「新たな黄金時代」を追求するとしています。
一方で、企業の具体的な動きも政府の方針に呼応しています。
例えば、ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長は、トランプ大統領同席のもと、今後4年間で1,000億ドルを投資し、10万人の雇用を創出すると宣言しました。
また、日本製鉄による米鉄鋼大手「USスチール」の買収が6月に正式に完了し、日鉄の完全子会社となったことも、日本企業による対米投資の象徴的な事例として注目を集めています。
さらに、日清食品ホールディングスやヤクルト本社など、食品産業をはじめとするあらゆる業種において相次いで米国での工場新設が発表されており、今後も対米投資が増えることが予想されます。
対米投資を促す地政学的背景
日本企業がこれほどまでに積極的な対米投資を行う背景には、戦後から続く日米同盟が基盤にあります。現在、中国の台頭や北朝鮮の脅威など、アジア太平洋地域における地政学的緊張が増す中で、米国との経済的結びつきは、単なるビジネス上の取引を超えた「安全保障上のツール」と位置づけられています。
特に、米中貿易摩擦の激化はグローバルサプライチェーンの再編を促し、日本企業は中国依存からの脱却を迫られました。米国は安全保障だけでなく、レアアースや半導体などの戦略物資の調達においても対中国で連携を求めており、日本では「経済安全保障上の日米同盟」という意識が広がり、企業は経営戦略に地政学リスク、経済安全保障の視点を組み込む必要性に迫られています。
日本は輸出入のほぼ100%を海上貿易に依存し、その大半は南シナ海や台湾近海を通るため、台湾有事のような事態は日本の経済安全保障を直接脅かします。このため米国との経済協力は、日本のシーレーン防衛と経済活動の安定性を高める「緩衝材」としての役割を果たします。
また、日本は石油の約9割を中東諸国に依存しているため、シェール革命を通じてエネルギー大国となった米国から石油や天然ガスなどを輸入することは、地政学的観点から大きなリスク分散(ヘッジ)になります。2025年2月の石破前総理の訪米時、アラスカ産の石油・天然ガス事業が言及されたのは、この戦略的な意図の証左です。生産拠点を米国に移すことは、コスト削減だけでなく、米国の軍事・外交的影響力を間接的に支援する行為とも言えるでしょう。
日本政府が企業に米国投資を奨励する政策を推進するのは、トランプ政権時代に顕在化した「アメリカ・ファースト」という保護主義的な圧力への対応策でもあります。日米同盟を外交の基軸とする日本にとって、米国との経済的相互依存を深めることは、地政学リスク(ロシアのウクライナ侵攻や中東紛争など)が激化する世界で、日本の安全保障と経済的安定を確保するために戦略的に重要な選択肢となっています。
対米投資がもたらす価値、メリット、そしてリスク
対米投資の最も核となる価値は、日米同盟の深化にあります。米国は民主主義陣営のリーダーであり、経済的な補強を通じて日本の信頼性を高め、地政学的緊張下での「信頼できるパートナー」として位置づけられることは、米国の外交的支援を引き出しやすくします。これは金銭的取引を超え、ソフトパワーとハードパワーの融合を意味します。
一つ目のメリットは、市場アクセスの安定性です。米国は世界最大の消費市場であり、比較的予測可能な政治・経済環境を持つ米国に拠点を置くことで、企業は長期的な収益基盤を築けます。現地生産は、トランプ時代の保護主義を教訓とした貿易摩擦回避の戦略でもあり、同盟国として優遇される可能性も秘めています。
二つ目に、技術移転とイノベーションの加速です。米国はシリコンバレーなどのイノベーション・ハブを有し、日本企業は投資を通じてこれにアクセスできます。米中技術戦争の文脈で、米国は同盟国への技術共有を促す傾向があり、これにより中国依存のリスクを軽減できます。ただし、日本の先端技術の流出を防ぐため、安全保障に直接関わりのない分野では過度な技術共有を控える独自の戦略も重要となります。
しかし、これらのメリットと同時に、複数のリスクも内包しています。最も懸念されるのは、トランプ政権の不透明性・不確実性です。「アメリカ・ファースト」政策の予測不可能性は、日本企業にとって重大なリスクであり、トランプ大統領が貿易不均衡などへの不満を高めれば、新たな関税や規制、政治的圧力が課される可能性があります。このような不確実性は、投資計画の長期的な安定性を損ないます。
また、中国による対日姿勢の硬化も無視できません。対米投資の拡大は、経済安全保障の観点から日米の結束を強化する行為であり、中国は日本の対米姿勢を注視しています。米中対立の深化や台湾海峡を巡る緊張の高まりを背景に、日本が米国との協力を優先する姿勢を強めれば、中国は経済的報復や外交的圧力を通じて対日姿勢を硬化させ、中国市場での事業環境の制限や、レアアースなどの調達制限といったシナリオが想定されます。
さらに、トランプ政権下で顕著な米国の保護主義路線は、世界の多極化を助長します。
中国がグローバルサウス(インド、ASEAN、アフリカ諸国など)に対して積極的な経済外交を展開する中で、日本が対米投資を強化する姿勢に徹すれば、場合によっては、グローバルサウス諸国から「米国寄り」と見なされる可能性もあるでしょう。
仮にそうなれば、保護主義を展開する米国に追従する日本として、日本企業がアジア・アフリカ市場での競争力を損なう可能性も排除できないとも考えられます。
そのため、日本の経済界からは、米中に過度に依存せず、インドなどグローバルサウス諸国と独自の関係を強化するべきとの提言もなされており、引き続き注視が必要です。





国際政治学者、一般社団法人カウンターインテリジェンス協会 理事/清和大学講師
セキュリティコンサルティング会社OSCアドバイザー、岐阜女子大学特別研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論など。大学研究者として国際安全保障の研究や教育に従事する一方、実務家として海外進出企業へ地政学リスクのコンサルティングを行う。