はじめに
中国の高齢者市場では、ここ数年で“静かな変化”が進んでいます。節約志向だったシニア層が、高価格帯の健康食品や調味料を選び、生活の質を高めようとする動きが広がっているためです。
中でも注目されているのが、脂肪の吸収を抑える可能性があるとされるジアシルグリセロール(DAG)油です。1本300元という高価格にもかかわらず購入が増えており、中国の「シルバー経済」が新たな段階に入ったことがうかがえます。
本稿では、このトレンドの背景にある要因を探ります。
3億人の高齢者が動かす、中国シルバー市場の急拡大
中国では高齢化の進行とともに、シニア消費が急速に拡大しています。中国国家統計局によれば、2023年末の60歳以上人口は約3億人(全人口の21.1%)に達し、中国はすでに「中度の高齢社会」に移行しています [1]。
この人口構造を背景に、「シルバー経済」の市場規模が急速に拡大しています。
中国国家情報センターの報告書では、2025年時点の市場規模は約8.3兆元(65.96兆日本円)、さらに2030年には20兆元(439.7兆日本円)を超える可能性があると試算されています[2]。中でも伸びが目立つのが健康関連分野での消費です。
中国税務総局の統計によりますと、2025年上半期には歩行・聴覚補助製品が32.2%増、栄養・保健食品が30.1%増と、各カテゴリで需要が拡大しています[3]。
こうした流れの中で、以前はニッチだったジアシルグリセロール(DAG)油が一気に注目を集めています。SNS を通じて口コミが広がり、都市部では品切れが相次ぐほどの人気商品となった上、高齢化と健康志向の高まりが重なり、新たな市場を押し上げています。
DAGオイルはなぜ中国で“爆売れ”したのか〜専門素材から日常の定番へ
ジアシルグリセロール(DAG)を多く含む食用油は、もともと専門性の高い“機能性油脂”として位置づけられてきました[4]。中国では2009年に衛生部(当時)がDAG油を「新食品原料」として認可し、一定条件のもと一般の食用油として利用できることが明確化され [5]、この規制整備により、専門技術が家庭の食卓へ届くための基盤が整いました。
その後、中国国内では製造技術や原料供給体制が整い、DAG油の産業化が本格的に進展しました。しかし、この油を市場で広く知られる存在へ押し上げたのは、ここ5〜6年で急速に高まったシニア層の“健康志向ブーム” です。
AgeClubの分析によれば、中国でDAG油が本格的に市場展開されたのは2019年前後で、そのわずか6年後の2024年には市場規模が約179.8億元(約3,700億円)に達したとされています[6]。
かつては研究者や一部の健康志向層に限られていたDAG油ですが、いまやスーパーで品薄になるほど人気が高まっています。シルバー市場の拡大と健康意識の高まりを背景に、「専門素材」から「日常の定番」へ急速に浸透しています。
誰が買っているのか?“脂質コントロール”に敏感な都市シニア層
DAGオイルの急成長を支えているのは、都市部のシニア層です。アンチエイジング産業連盟の分析では、高齢者は健康志向が他年代より高く、日常支出の約4割を外食・食品・健康食品が占めています[7]。
背景には、『中国心血管病報告2023』が報告したように、中国国内の心血管疾患患者数が約3.3億人に上るという健康課題があり、その多くを中高齢者が占めています[8] 。
DAGオイルが支持される理由は、「太りにくい」「生活習慣病対策」「炒め物の習慣を変えずに健康に寄せられる」という訴求が、都市シニア層の“脂質コントロール志向”と強く結びついたためです。
従来の調理スタイルを維持しながら健康に配慮できる点が、ヒットの原動力となったでしょう。
テレビからショート動画へ〜シニアの健康消費を動かす“新しい口コミ経路”
今回のDAGオイルのブームが興味深いのは、従来のテレビCMではなく、まったく別のルートで広がった点です。
シニア消費の動向を分析した調査によれば、中国の高齢世帯はここ数年でショート動画、ECライブ配信、コミュニティ型共同購入といったデジタルチャネルを急速に受け入れています。
一線都市では、贈答品として食用油や健康食品を選ぶ割合が一般家庭より高く、ブランド志向・高価格帯へのシフトも確認されています[9]。
DAGオイルの場合、この“デジタル化した口コミ”が顕著に現れました。ショート動画プラットフォームでは、「60代でも体が軽くなった」「退職医師が教える脂質コントロール」などの動画が人気となり、そのなかで「油をDAGオイルに替えてみた」といった具体的な商品名が自然に登場します[6]。
こうした個人の体験談や専門家の発信が、ECライブ配信、コミュニティ購買グループ、さらには子ども世代による“親への贈り物購入”と重なり、複数の経路を通じて広がっています。
つまり、DAGオイルのヒットは、商品そのものの魅力だけでなく、シニア層の健康不安、SNSの拡散力、家族による購買支援といった要因が組み合わさって生まれた現象だと言えます。
中国のシニア向け健康消費は、いまやテレビ広告よりもショート動画とECが主導する時代へ移行しつつあるのでしょう。
まとめ
1本300元のDAGオイルは、単なるヒット商品ではありません。その背景には、「少しでも体に良いものを選びたい」「長く健康に暮らしたい」という中国シニア層の価値観の変化があります。
高価格でも納得して購入し、日常の食生活をアップデートしようとする姿勢が、企業や投資家をシニア向け健康市場へと引き寄せていることが垣間見えました。
すでに超高齢社会にある日本にとっても、このDAGオイルのブームは、今後のシニア消費を考える上でのひとつの“拡大鏡”となり得ると言えそうです。
参考資料
[1] 新华网 .热词里的中国活力丨这个市场有多大?数据带你看老年人“新消费”.「高齢者の「新しい消費」市場はどれくらい大きいのか──データで見る中国の活力」http://www.xinhuanet.com/food/20240201/38a624eb50a646a7a21dd6601354a4be/c.html
[2] 国家信息中心. 中国银发经济高质量发展研究 2025 「中国シルバーエコノミー発展研究 2025」 http://www.sic.gov.cn/sic/81/455/0731/20250731083426641014030_pc.html
[3] 税务总局网站.税收数据显示:2025年上半年银发经济发展态势良好「 税収データが2025年上半期のシルバーエコノミーは順調に拡大したと」https://www.gov.cn/lianbo/bumen/202507/content_7032336.htm
[4]科普中国(新华网) .二酯油能减肥又能降血脂?真有那么好吗? 「ジアシルグリセロール油は本当に減量や血中脂質低下に効果があるのか?」 http://www.news.cn/science/20240902/301066adc63b48f8909b95948e427c5c/c.html
[5] 卫生部 .卫生部关于批准茶叶籽油等7种物品为新资源食品的公告(卫生部公告2009年第18号)「茶実油など7品目を新たな食品原料として承認した通知」https://www.nhc.gov.cn/sps/c100088/201001/aaf88b4093854da59e2bbb7c5f22c338.shtml
[6] AgeClub .甘油二酯油爆红,中老年控脂刚需撬动千亿市场「ジアシルグリセロール油が人気:中高年の脂質対策需要が巨大市場を後押し」 https://www.cbndata.com/information/294678
[7] 抗衰老产业联盟 (新浪财经) .2025银发市场的新蓝海:深度解析老年人消费习惯与趋势 「2025年のシルバーマーケット:高齢者の消費行動とトレンドの分析」https://finance.sina.com.cn/roll/2025-05-29/doc-ineyfkfx4918318.shtml
[8] 中国心血管健康与疾病报告编写组 .中国心血管健康与疾病报告2023 「中国心血管健康・疾病報告2023」https://www.fuwai.com/Sites/Uploaded/File/2024/12/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%BF%83%E8%A1%80%E7%AE%A1%E5%81%A5%E5%BA%B7%E4%B8%8E%E7%96%BE%E7%97%85%E6%8A%A5%E5%91%8A(2023)-%20%E6%9C%80%E5%90%8E%E7%89%88.pdf
[9] Worldpanel by Numerator .银发经济消费图谱全解析「シルバーエコノミー消費の概要分析」https://market.worldpanelbynumerator.com/cn/news/The-consumption-situation-of-Silver-Haird-Household









文章を書くことと、人の気持ちや社会の動きに目を向けることが好きで、現在は日々のニュースを自分なりの視点で追いかけています。中国出身で、現在は日本で学びながら生活しています。ふとした日常や、見過ごされがちな出来事の中にも、誰かの心に残るストーリーがあると信じています。そんな想いを込めて、ひとつひとつの記事を綴っています。