現場の「これはいける」という直感が、「その根拠となるデータは?」の一言で消えていく――。多くのマーケターが直面するこの壁を打開するための方法として、積水ハウス イノベーション&コミュニケーション株式会社(以下、積水ハウス イノコム)のCRO(Chief Research Officer)である日ノ澤恵莉氏が提唱するのが「5S」フレームワークです。これは感性とデータをどのように統合すれば、勝てる戦略仮説へと翻訳できるかを5つのステップで整理したもの。その実践には「Dockpit(ドックピット)」「Perscope(ペルスコープ)」などの分析ツールも問いを深める材料として役立ちます。理論を解説しつつ、具体的にどのようにツールを活用すれば実践できるのか、日ノ澤氏と株式会社ヴァリューズ(以下、ヴァリューズ)取締役副社長・後藤賢治に聞きました。
「直感が消える」もどかしさから生まれた5Sフレームワーク
ヴァリューズ 後藤(以下、後藤):日ノ澤さんとは長年のお付き合いで普段からご一緒する機会も多いですが、あらためて現在の部署の役割について教えていただけますか。
積水ハウス イノコム日ノ澤氏(以下、日ノ澤):積水ハウスグループでオープンイノベーションを推進する積水ハウス イノコムのCRO(Chief Research Officer)として、リサーチとマーケティングを担っています。グループ各社の課題を、顧客理解とデータ分析をベースに整理し、戦略へ整えて意思決定を支援する役割です。
キャリアの出発点はオリエンタルランドで、15年間、マーケティング戦略や商品企画などゲストの心を動かす体験価値づくりに携わりました。とてもやりがいを感じる現場でしたが、もっとデータに基づいた意思決定をできるようになりたいと考え、ソフトバンクのマーケティング部門に転職。そこで出会ったのは、何ごとも数字で語る組織文化でした。前職とは異なるカルチャーの違いに、最初の頃は大いに刺激を受けましたね。
一方で、「お客様はここで喜んでくれるはず」と顧客起点で提案をしても、「根拠は? どのデータから?」と問われると、自分の直感を他者が納得できる形で説明しきれないことがありました。 直感を他者が受け取れる形にするには、データが必要なのだと痛感しました。
積水ハウス イノコムCRO(Chief Research Officer)日ノ澤恵莉氏
Royal Holloway, University of London MBA修了。オリエンタルランド、ソフトバンク、大手損害保険会社にて顧客理解を起点としたマーケティング戦略や顧客分析に従事 。現職ではリサーチとデータを統合した顧客理解を基盤に、事業成長エンジンの設計や意思決定支援を推進している。
後藤:テーマパークというゲストの体験価値を大切にする現場 から、数字やデータをもとに議論を積み上げる現場に移られたのであれば、振り幅の広さに戸惑いますよね。私も同じ課題に長く向き合ってきましたが、直感を裏づける最適なデータってそうそう見つからないものです。
たとえば通販業界だと、購買もログもアンケートもあるので一見するとデータは潤沢なんです。でも、「次にどの領域へ広げれば儲かるか」を考えると、手元には今の事業のデータしかない。新しくやりたいことと、持っているデータがアンマッチ。かといって毎回インタビューを100人規模でやっていたらコストも時間もかかりすぎる。それがわかっているから、無理にでもデータを「作りにいってしまう」ケースも少なくないはずです。
ヴァリューズ取締役副社長・後藤賢治
大阪大学卒業、リクルートでECサイト責任者を務めた後、マクロミルで新規事業開発担当・執行役員を担当。2009年にヴァリューズを共同設立。現在は取締役副社長として経営と新サービス開発を担う。
日ノ澤:逆に、データでガチガチに固めた案を持っていくと、今度は「それで本当にお客様の心は動くのか」と問われる。感性とデータ、両方がつながらないと良い戦略にならないことを身をもって体験しました。
また、マネジメントの立場でも、若手の良い提案が「根拠となるデータは?」の問いで消えていく場面を何度も見てきました。この課題は私一人のものではないと感じ、誰もが再現できる思考法として整えたのが「5Sフレームワーク」です。
アンケートだけでは拾えない顧客の「無言の行動」
後藤:日ノ澤さんが提唱されている「5Sフレームワーク」について、あらためて教えていただけますか。
日ノ澤:直感を適切な問いに変換するためのSee(観察)、市場の構造を解き明かすStructure(構造化)、勝てる戦略仮説を絞り込むSelect(選択)、それを実行可能な形に具体化するSolidify(具体化)、最後に責任を持って納得解を選ぶSettle(決断)。5Sフレームワークは、これら5つのSからなる思考の型です。
良い直感が思い浮かんでも、客観的に説明するデータが不足すれば企画倒れになる。この5Sフレームワークを活用し、AIで思考を広げることで、良い直感を“勝てる戦略仮説”へ変えることができる。
最初のステップであるSee(観察)においては、顧客の「無言の行動」を重視しています。顧客アンケートの声ももちろん役立ちますが、それだけでは実態を十分に掴めません。
なぜなら、企業に届く声はごくわずかであり、世の中にはアンケートに回答してくれない人のほうが圧倒的多数です。他社と比較して「違うな」と去っていく未顧客や、不満があってもわざわざ訴えてこない既存顧客。それらを見ずに意思決定していいのかという課題がありました。
後藤:最初のSeeの段階において、観察の解像度を上げるためにDockpitも活用していただいています。具体的にどのように使われていますか。
“マーケターのためのリサーチエンジン”「Dockpit(ドックピット)」のサービス画面。国内最大規模250万人のWeb行動ログデータをもとに、競合・市場調査、ユーザー理解を手軽に実現できる。
日ノ澤:Dockpitでは、Web行動ログを通じて、市場全体でどのようなキーワードや関心テーマが動いているのかを確認しています。私の場合はサイト分析よりも、キーワード分析から入ることが多いですね。生活者がどんな言葉で情報を探し、競合や市場の中で自社がどの文脈に位置づけられているのかを客観的に掴むヒントになります。
後藤:本来、マーケティングの面白さは、言葉にできないインサイトの根っこにあると私は考えています。ネット上の連続した行動 ―― 検索して、レシピサイトを見て、ECに行き、好きなアーティストのニュースを見て……など、一見すると不思議なユーザーの動きから、点と点が線で結ばれるとそこに仮説が生まれる。そうした「ユーザー行動」にスポットを当てて深掘りできるのが、Perscopeです。大規模なWeb行動を統計的に捉えて市場を理解するDockpitとはまた違って、Perscopeは人単位のデータですから、行動から思考の変遷を追えるのが強みです。
日ノ澤:Perscopeは顧客理解の入り口として非常に相性が良いと感じています。その人が何を、どのような順番やタイミングで調べているのかを見ることで、企業側が想定していた検討プロセスと、生活者の実際の動きのズレに気づくことがあります。そこで見つけた違和感を起点に、See(観察)を深められます。
深い生活者理解を可能にする「Perscope(ペルスコープ)」。Web行動、アンケート双方の情報を用いてリアルタイムにペルソナを生成し、ターゲットの特徴を素早く掴むことができる。
後藤:相関の先にある因果を考えるのは人間の仕事ですが、大量のデータから仮説を広げるのはAIの得意技です。続く、Structure(構造化)はどのような視点で実践されていますか。
日ノ澤:Structure(構造化)は、競合・市場の理解を深めるステップです。他社が新しい施策を打つと「うちもやらなきゃ」と焦りがちですが、競合がどの文脈で生活者の選択肢に入っているのかを見ることが大切です。
Dockpitでは、競合サイトへの流入キーワードや、競合と併せて見られているサイト、広告接触の状況などを確認できます。そこから、競合がどの検索文脈・比較文脈で選ばれているのかを構造的に捉え、自社が攻められる領域を見極めていくのがStructureです。
後藤:ただ真似るのではなく、その裏側にある仕組みを読み解くことがポイントですね。では3つ目のステップであるSelect(選択)とは?
日ノ澤:競合と顧客を理解できた上で、自社の強みを踏まえて「どういう場面で思い出されたら勝てるか」=勝てる場面(カテゴリーエントリーポイント)を選ぶ段階、と定義しています。
住宅でいえば、生活者は最初から「注文住宅」だけを検討しているとは限りません。賃貸を続けるのか、マンションを買うのか、建売にするのか、土地から探すのかといった広い選択肢の中で迷っています。だからこそ、まず生活者がどの場面で住まいの検討を始めるのかを広く捉え、そのうえで自社が最も強く思い出されるべき場面を選ぶ必要があります。
そこを踏まえた上で、Solidify(具体化)では、選んだ場面を実際の顧客接点に落とし込み、顧客の中に残るブランド像を揃えていきます。
顧客が接点ごとに求める情報は異なります。そのため、接点ごとの文脈に合わせて伝え方を変えながらも、顧客の中に残るブランド像は揃える必要があります。広告、Web、店舗、営業資料で伝え方は違っても、「この場面ならこのブランド」と思い出される状態を一貫してつくる。それがSolidifyで大事にしていることです。
AIが“思考の相棒”になった今、5Sは実践しやすくなった
後藤:5Sフレームワークの最後のステップであるSettle(決断)に関してはいかがでしょうか。
日ノ澤:AIが示す解釈も関係性も、それ自体は答えではありません。事業の文脈と照らし合わせながら、顧客・現場・事業の観点で本当に筋が通っているのかを何度も行き来して考え 、最後は人間が決断します。
その戦略が現場で本当にオペレーションできるのか、事業の制約のなかで成り立つのか、お客様の不安や期待に沿ったものになっているのか 。AIだけでは判断できない部分を多面的に見たうえで、「この仮説で進める」と決める。これは、人間にしかできない仕事だと私は考えています。
後藤:AIを暴走させないスキルも大事になってくるかもしれませんね。良質なデータ、適切なAIエンジン、そしてフレームワークという思考スキル。この3つが揃って初めてAIの価値も活きてくる。5Sフレームワークは、まさにそのスキルの核になるものだと思います。
日ノ澤:私がこの5Sフレームワークを世に出そうと思ったのは、この1年でAIが一気に進化したからです。世の中には良いインサイトが山ほど眠っているのに、これまでは現場の直感をデータと結びつけ、戦略仮説として説明できる形にすることが、誰にとっても簡単ではありませんでした。 ですが、AIを実務の中で使いやすくなっ た今なら、「フレームワーク+AIのループ」を回すことで、誰もが直感を戦略に翻訳する手段を見出し、良質な戦略仮説にたどり着けるようになる。そんな土壌が整ったと感じています。
また、データを見慣れていない人でも、AIが解釈を補助してくれれば、分析結果を理解し、議論に参加しやすくなります。その結果、ベテランと新人、データに慣れている人とそうでない人の間でも、共通の土台を持って意思決定に進めるようになる。 5Sの各ステップに最適なツールを味方につければ、仮説の精度はさらに高められます。
後藤:最後に、明日からこの「5S」を実践しようと思ったとき、日ノ澤さんは何から始めるのが良いと思いますか。
日ノ澤:まずは、今考えている企画について「なぜ自分はこれがいけると思ったのか」を、AIと対話しながら掘り下げてみることだと思います。5Sを思考の地図として使い、手元のデータや現場での観察と照らし合わせていけば、直感は少しずつ戦略仮説に磨かれていきます。
後藤:同感です。私もまずは小さく、何かひとつを絞って調べてみることをおすすめします。そのためには、社内にある良いデータを「使える状態」にすること。購買データも構造化されていなければ動かせませんし、法的に使ってよいかの整理も要ります。もし手元になければ、構造化済みで扱いやすいデータから試すのも手です。Dockpitは国内最大規模・250万人のWeb行動ログを誰でも扱える形にしていますので、ぜひ活用していただけたらと思います。
取材協力:InnoCom Square(イノコム・スクエア)by SEKISUI HOUSE
積水ハウス イノベーション&コミュニケーション株式会社









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