企業が対峙する「テロのリスク」〜海外マーケティング戦略に何を組み込むべきか

企業が対峙する「テロのリスク」〜海外マーケティング戦略に何を組み込むべきか

9.11米国同時多発テロから25年が経過し、世界全体のテロ発生件数は減少傾向にあります。しかし一向にその発生率は「0」とは言えない現実。このような中、企業が海外展開を行うには単に「危険な国を避ける」だけで良いのでしょうか。果たして「危険な国」とはどのように判断するべきか、その認識の裏付けは何から得れば良いのでしょうか。現代のグローバルマーケティングにおいて、企業はテロ発生リスクとどう向き合うべきか、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


世界のどこでもテロが増えているわけではない

001年9月11日の米国同時多発テロから、2026年で25年となります。この四半世紀で国際社会は大規模なテロに対する監視や情報共有、金融規制などを強化してきました。
しかしその一方で、テロの脅威そのものが消えたわけではありません。むしろ、企業が海外で事業を展開する際には、「テロが起きるかどうか」だけでなく、政治的暴力・社会不安がサプライチェーンや従業員・店舗・物流・顧客行動にどのような影響を及ぼすのかを考える必要があります。

近年の世界のテロ情勢をみると、重要なのは、テロが世界中で一様に拡大しているわけではないという点です。
2026年版のGlobal Terrorism Indexによれば、2025年の世界のテロによる死者数は5,582人で、前年から28%減少し、事件数も22%減少して2007年以来の低水準となりました。一方で、テロの被害は紛争が続く地域などに集中する傾向が強まっています。2025年には、テロによる死者の半数以上がサヘル地域で発生し、過去2年間に紛争を経験した国が、テロ被害の大きい国の大半を占めました。

つまり、企業が注視するべきなのは「世界のどこでもテロが増えている」という単純な構図ではなく、紛争や統治能力の低下、国境地帯の不安定化などが重なる場所でテロが発生するリスクが高まりやすいという構造です。

世界のどこでもテロが増えているわけではない

テロ発生時、事業を継続していくために

この変化は、企業のグローバルマーケティングにも重要な意味を持ちます。
海外事業を検討する際、従来は市場規模、所得水準、人口動態、競合環境、物流コストなどが主要な判断材料でした。しかし現在では、それらに加えて「事業を継続できる環境か」という視点が欠かせません。
ここで注意したいのは、テロが発生するリスクと市場そのものが持つ魅力の有無を同一視しないことです。
ある地域でテロが発生したからといって、その地域全体を市場として否定するのは適切ではありません。むしろ重要なのは、国、都市、地域、さらには個別の施設や物流経路によってリスクが異なることを前提に、事業活動への具体的な影響を細かく評価することです。

例えば、海外で店舗を展開する企業であれば、テロそのものによる店舗被害だけが問題なのではありません。事件後に人の移動が減少したり、観光客が減ったり、商業施設の営業時間が短縮されたりすることで、売上が間接的に落ち込む可能性があります。広告や販促活動についても、社会的緊張が高まっている時期には、通常なら問題にならない表現やイベントが、政治的・社会的な対立と結び付くと考えられる場合があります。
製造業や小売業にとっては、さらにサプライチェーンへの影響が重要になります。テロや政治的暴力によって港湾、空港、幹線道路、国境通過地点などの物流拠点が一時的に機能しなくなれば、直接被害を受けていない企業でも商品の供給が遅れる可能性があります。調達先を一つの地域に集中させている企業ほど、その影響は大きくなります。

これらの例からもわかるように、企業の海外戦略では「危険な国を避ける」という発想だけでは十分ではありません。調達先や販売先を複数に分散し、特定の物流ルートが使えなくなった場合に代替できる仕組みを持つことが重要です。これはテロ対策というより、地政学的リスクを含む事業継続計画の問題と考えた方が実態に近いでしょう。

事業継続だけではない、テロ発生時に企業が懸念すべき事柄とは

テロ発生リスクは企業の人材戦略にも影響します。
海外拠点では、従業員の安全確保、出張管理、緊急時の連絡体制、退避手段などをあらかじめ整備しておく必要があります。現地社員だけでなく、日本から派遣する社員や取引先の担当者についても、緊急時にどのような対応を取るのかを明確にしておくことが求められます。

さらに見落とせないのが、金融・コンプライアンス面です。
現在のテロ対策は、武装した主体への対応だけではありません。テロ組織への資金供与を防止するため、金融機関や企業には取引先の確認や制裁対象者との取引回避などが求められています。国連も近年、暗号資産、オンライン決済、クラウドファンディングなど、新しい金融技術がテロ資金調達に悪用される可能性を指摘しています。

また、企業にとってはテロそのものよりも、知らないうちに高リスクの取引先や資金経路に接続してしまうことの方が、現実的な問題になる場合もあります。
したがって、海外マーケティングを「市場を開拓する活動」だけではなく、販売代理店、物流会社、現地パートナー、決済事業者などを含めた企業ネットワーク全体を吟味選択し設計する活動として捉える必要があります。

事業継続だけではない、テロ発生時に企業が懸念すべき事柄とは

「0」にはならないテロ発生リスク。その時に企業ができることは

「9.11から25年」という節目から見えてくる最大の変化は、テロ発生リスクを「特殊な危機」として扱うのではなく、通常の経営リスクの一つとして管理する必要性が高まったことです。
だからこそ、企業が海外市場を評価する際には、「テロが発生しうる国か否か」という二択ではなく、「万一発生した場合、販売、調達、物流、人員、ブランド、決済のどこにどう影響が及び、どの程度の期間で事業を復旧できるのか」という視点が重要になります。

テロの発生確率を完全に「0」にすることはできません。しかし、リスクを分解し、複数の調達先や物流経路を確保し、現地パートナーを慎重に選び、従業員の安全管理や危機対応を整備することで、企業が受ける影響を小さくすることは可能です。
9.11から25年を迎える今、企業に求められているのは、恐怖によって海外市場から撤退することでも、リスクを過小評価することでもありません。テロを含む地政学的リスクを冷静に把握し、それをマーケティングと事業継続の意思決定に組み込むことで、変化の大きい世界でも事業を継続できる体制をつくることです。

\Googleでマナミナをフォロー!/

この記事のライター

Strategic Intelligence Inc. CEO 代表取締役社長
専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障、地政学リスクなど。海外研究機関や国内の大学で特任教授や非常勤講師を兼務。また、国内外の企業に対して地政学リスク分野で情報提供を行うインテリジェンス会社の代表を務める。

関連するキーワード


地政学

関連する投稿


なぜ今、「経済安全保障」がフォーカスされるのか?「経済的威圧」とは何か?

なぜ今、「経済安全保障」がフォーカスされるのか?「経済的威圧」とは何か?

近年、ニュースやビジネスの最前線において見聞きする機会が急激に増えた「経済安全保障」。さらにその枠組みの一つでもある「経済的威圧」は、海外への事業展開をするビジネスパーソンにおいては明確に理解しておく必要がありそうです。本稿では、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が具体例を示しながら詳細解説します。


激化する中東情勢が影響する日本企業のマーケティング戦略

激化する中東情勢が影響する日本企業のマーケティング戦略

2026年2月、米国とイスラエルの共同軍事作戦によりイラン最高指導者ハメネイ師が死亡、中東情勢は急速に緊張状態へと突入しました。イランはイスラエルや米軍基地への攻撃で報復し、この戦闘は湾岸諸国にも波及しています。これまで比較的安定した拠点とされてきたUAEなどでも安全リスクが意識され、日本企業は駐在員の安全確保や投資・事業戦略の見直しを迫られる可能性が生じています。不透明さを増した中東ビジネスの先行きについて、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


2026年、グローバルプレーヤーが抑えるべき地政学リスクの行方

2026年、グローバルプレーヤーが抑えるべき地政学リスクの行方

2026年、年始から米国がベネズエラへの軍事介入を実施したことで世界に緊張が走りました。今年も世界情勢の行方から目が離せません。その中心となるのは、引き続き「関税」を切り札とした政策を展開しているトランプ政権・米国でしょうか。目まぐるしく移り変わる世界情勢に、日本企業の海外展開は、また、マーケティング戦略はどのように進めるべきか、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


インドへの投資を地政学的観点から考える

インドへの投資を地政学的観点から考える

インドは今、世界経済において最も注目を集める国の一つであり、その経済成長は目覚ましいものがあります。人口は中国を抜き世界一となり、巨大な内需市場と若い労働力を持つインドは、日本企業にとってきわめて魅力的な投資先となっています。単なる成長市場というだけでなく、インドが大国化の道を歩んでいるという事実は、投資を検討する上で最も重要な地政学的要素として認識されるべきでしょう。そのように注目の高まるインドの今を、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


地政学的リアリズムが促す日本企業の対米投資 〜 同盟強化とリスクヘッジの戦略

地政学的リアリズムが促す日本企業の対米投資 〜 同盟強化とリスクヘッジの戦略

2019年以来、5年連続で世界最大の対米投資国となる日本。戦後からの「日米同盟」を基軸とした日本の対米政策により、この関係は更なる深化が求められています。しかしこの深化にはメリットもある一方で、懸念されるべきリスクも存在します。流動的に変化する国際情勢の中、世界を相手にビジネス展開を進める日本企業にとって留意すべき点は何なのか、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


ページトップへ