人的資本経営 ~ 人材から人財へ

人的資本経営 ~ 人材から人財へ

「人的資源(Human Resource)」という考え方が人事領域で主流となっていた過去。この「ヒト」は資源であり「コスト」でもあるという考え方を覆すべく、利益や価値を生む存在として捉える「人的資本(Human Capital)」という概念が生まれ、今では「人的資本経営」が注目されています。では、その背景には何があるのか、人材から人財へと概念をシフトし、「人的資本経営」を遂行することで何が違ってくるのか。広告・マーケティング業界に40年近く従事し、現在は株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェローを務めている渡部数俊氏が解説します。


運と組織

様々な環境に生まれ育ってきた人々が互いに集まって協力し合い、事業を継続して社会に価値をもたらすのが本来の企業の姿です。人それぞれ癖や特徴があるのと同様に企業にも社風や風土が存在します。

経営の神様と今でも大変尊敬され、パナソニックホールディングスを一代で築き上げた松下幸之助は「企業は人なり」と人と企業の関係について簡潔な言葉でまとめています。幾多の難行苦行を乗り越え、パナソニックを世界的な企業へと導いた創業者の名言を納得出来ると同時に圧倒的な重みを感じます。
生家が貧しく、病弱であり、学歴が無かったことが成功をもたらした3つの恵みとするその思想と信念。また、入社試験の面談に際し、あるケースではその人のこれまでの人生における運の強さを見抜き、それを合否の判定にしたという逸話からも洞察力と直感力の凄みが垣間見られます。

経営者は順境であっても逆境であっても、常に社員を鼓舞し、その潜在能力を見つけ出し、企業の成長のために発揮させなければ生き残れません。企業は将来に向けた優れた収益モデルを創造し、継続的に利益を追求することが宿命です。
そのための社員教育には現場でのOJTの必要性はもちろん、卓上での知識や技能の取得も大切です。人材を人財に伸ばすためには、企業の目的や使命感が明確であり、経営理念が確立されている必要があります。
企業にとって人は財産であり、幸運をもたらす成功の礎なのです。
運は持って生まれたものかもしれませんが、いわゆる「持っている人」の幸運を活かし呼び込むための企業姿勢と努力は企業にとって必要不可欠です。

「失われた30年」に日本を陥れたのは政治家や企業経営者の中に「持っている指導者」が現れなかったためかもしれません。

運と組織

人的資本とは

人的資本とは、「モノ」、「カネ」、同様に「ヒト」の持つ能力を資本として捉えた経済学の用語です。個人が身につけている技能・資格・能力などを指しています。

人的資本への投資は、生産力や経済活動への貢献に繋がると経済学の上では定義されています。
企業に当てはめると、採用や研修、社内教育、労働安全など「ヒト」に関わる様々な面に投資することで、企業価値を創造し、企業を発展・成長させるという対価を得られるとしています。
人的資本への投資は、健康経営に代表される従業員及び家族の健康状態の維持・管理、従業員の個人的な幸福感の向上、社会との絆の構築と強化など多くの非経済的利益をもたらします。結果として、最終的には経済的利益に繋がるものなのです。

人事の領域において、「ヒト」は「人的資源(Human Resource)」という考え方が主流を占めていました。資源はコストとして消費されるものであり、可能な限り効率的に少なく回すべきという考え方です。
一方、「人的資本(Human Capital)」は、「ヒト」を学ばせ成長させることで利益や価値を生む存在として捉えています。そこで発生する費用はコストでは無く投資として認識され、投資により「ヒト」を最大限活用出来るという考え方なのです。

注目される背景

人的資本経営が注目される背景には、ITやAIで代表される科学技術の進歩と働き方の変化があります。DXの進展により、企業の定型業務の自動化が増加しています。ただ、先進的なイノベーションやクリエイティブな業務には、高度なスキルあるいは創造力を持った人材が不可欠です。

一方、少子高齢社会にある日本では労働力人口の減少や特定の技能や知識を持つ人材に対する需要の増加もあり、労働力不足が深刻化しています。そのため、従業員のスキルの向上や人材の価値を高める取り組みが企業にとっての重要な課題となっています。

2023年3月期の決算以降、大手企業約4,000社を対象に有価証券報告書での人的資本に関する情報開示が義務化されました。これは、投資家が企業評価の際に、財務情報だけで無く非財務情報、特に人的資本に関する情報を重視するようになった表れです。

また、「ESG投資」(環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance))が投資家の間で拡がり、人的資本経営は「社会(Social)」の要素に深く関係し、企業の社会的責任や持続的可能性を評価する上で、人材への取り組みが重要な指標となっています。

日本で人的資本経営が注目を集めたのは、経済産業省が2020年9月に公表した「人材版伊藤レポート」(一橋大学CFO研究センター長伊藤邦雄氏)からです。
さらに、2022年5月には内容を掘り下げ、その重要性をさらに強調した改訂版「人材版伊藤レポート2.0」が公表され、注目度は一段と高まり、多くの企業が取り組みを加速させています。

人的資本経営が注目される背景

導入のメリット

人的資本経営に関しては様々なメリットが考えられます。

①従業員エンゲージメント(職場と従業員の関係性)の向上、②企業ブランドの確立と向上、③労働生産性を高める、④投資家からの高評価、⑤新たな企業価値創造やイノベーションの創出、⑥リスク管理の強化、⑦健康経営の促進、⑧潜在的リスクの低減、などです。

もちろん、効果が現出されるには時間もコストもかかるために長期的視点での取り組みが必要です。人的資本経営を実際に進めるためには、経営戦略と人材・人事戦略を連携させることも大切です。企業の理念や目標と、人材の育て方を組み合わせた戦略を練ることが肝要なのです。
そのためには、①企業の将来のビジョンを明確にして、それが求める人材像を描く、②必要なスキルや経験を特定し、必要な人材の要件を明示する、③目標完結を目指した具体的な人材育成計画を立案する、などが求められます。

また、従業員が有している資格やスキル、今までに参加したプロジェクトや特別チームなどの経験を整理し、可視化することも必要です。これにより、適材適所の人材配置が可能になり、従業員それぞれの成長の促進にも繋がります。従業員の能力開発には積極的な投資も必要です。人材育成こそ、人的資本経営の中核だといえるからです。
さらに、ワークライフバランスの推進は人的資本経営による働き方改革の最重要な施策です。

このように注目される人的資本経営ですが、経済合理性を考えた際、価値を生まない人的資本を洗い出し入れ替えることが出来れば、さらにエンゲージメントは高まるのかもしれません。

この記事のライター

株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。

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