不正
小心者のため、不正と聞くと身の毛がよだちます。とはいえ、企業の組織的な不正は後を絶ちません。もちろん、個人における不正が著しく減少している訳ではありません。最近でも組織的には品質偽装、不正会計、補助金不正受給、不正燃費などその他多くの事例が様々な企業や団体で見つかっています。内部告発による不正発覚が目立ってきた点も見過ごせません。個人でも昔から不正入学、不正乗車などの行為がメディアを騒がせてきました。
不正とは、道義上または法律的に正しくないことであり、組織と個人とは分けて考えるべきなのでしょうか。
周りでも不正行為に関する話を聞きましたし、実際に不正に関与して罪を犯した人達も知っています。多くがふとした出来心が原因だと思いたいのですが、中には完全犯罪ともいうべき計画的な不正もありました。
詐欺行為を見てもこれでもかと思える位に特殊詐欺やダークパターンに代表される計算されつくした様々なテクニックが現れ、その巧妙さに舌を巻きます。如何にして人を騙して金銭を巻きあげるかを細部まで算段して実行に移す。ゲーム感覚の場合もあるでしょうし、ITを駆使したハイテク型もあるでしょう。唯々、進化し続ける詐欺行為には呆れ返ります。法律の抜け穴をこれでもかと見つけ堂々と実行する探究心と実効力、その凄味に恐ろしささえ覚えます。同時に、詐欺が時代に合わせて新しい手法を続々と生みだすことに人間の生来のたくましさと浅はかさを感じます。
コンプライアンス
コンプライアンス(compliance)とは法令順守を指しますが、現在この言葉は法令を超えた倫理観や公序良俗などの社会的規範に従い公平・公正に業務に努めること、あるいは倫理的要請(SDGsなどの企業の社会的責任など)への応答・対応を行うことまでをも意味しています。
今やコンプライアンスは企業経営にとって最も重視される課題となっています。法令違反の発生の要因として、利益至上主義や事なかれ主義、社内の風通しの悪さ、経営陣の対応の遅さなどが指摘されています。
社会において実際に機能している法である実定法はいつの時代においても未完成であり、抜け道が存在します。既定の法律で対処出来ない問題の発生や社会情勢の変化により、法改正は繰り返され実定法は緻密化していきます。そのスピードに追いつけない企業や組織が出てきても仕方ないと思うこと自体がコンプライアンスを理解出来ていないことなのです。
近代法の骨格とは「一人ひとりが自分の行為に責任を持つ」という原則があり、「あるべき人格」の実現が淵源にあります。一方、日本では共同体への帰属こそが自らのアイデンティティーになりがちであり、近代欧州的な自我の確立が困難なため、女性蔑視や陰湿ないじめが無くならず、日本的な美徳は内輪において悪徳となりやすいのです。
法の支配が企業統治にも浸透すれば、法により守られるという長期的利益が我々の生活に広くもたらされます。
市場の信認を企業が得るには社内外を問わず世界中のあらゆる人を法的人格とみなして尊重する意識を経営者も現場も徹底する必要があります。
組織不正
不正の発生メカニズムに様々な研究が行われてきました。有名な研究に「不正のトライアングル」があります。カリフォルニア大学ドナルド・クレッシー教授が理論化し、その後に会計士スティーブ・アルブレヒト氏が精緻化しました。「不正のトライアングル」とは人が不正に走るには、次の3つの要素、①不正を行う動機(不正を行わざるを得ないというプレッシャー)、②不正を行う機会、③不正を行うことに対する合理的な理由(不正行為を正当化する理由)が揃っているという状況を示す図形です。
この3つの要素が合わさることで不正が行われるとしていますが、これは個人不正に限って説明が可能です。組織不正の説明には必ずしも適してはいません。企業においては経営計画の達成は必要不可欠です。ただ、その達成が可能であるかどうかが不正の土台を醸成する大きな要素として注目されています。
つまり、法令意識より業績意識が上回ってしまう場合に不正が起こりやすくなると考えられているのです。また、自社の技術力への過信も結果的に不正を生む土壌となり得ます。経営陣が法令を深く理解し、それを継続的に守れるよう社内に働きかけることが大切であり、法令への理解と法令意識の双方が必要不可欠です。法令に曖昧さがあれば、速やかに確認できる体制を整えなければなりません。
不正とは「法令等からの逸脱」を意味し、その逸脱を防ぐための一層の予防策が求められています。
事後監視
2000年代に米国から日本へコンプライアンスの概念は輸入され定着に至りました。その背景にあるのは1990年代の経済及び政治の低迷から構造改革の動きが生まれ、小さな政府を目指した新自由主義的な政策が導入されたためです。
現実には市場競争の活力向上を目指し、民営化や規制緩和が行われてきました。その改革の指針として、事後監視という概念が導入されたのです。従来の行政の事前に民間に規制をかけ行動をコントロールして問題を防ぐやり方でなく、監視する機能を出来るだけ民間に任せるといった思想です。
2000年に閣議決定された行政改革大綱には「国民の主体性と自己責任を尊重する観点から、民間能力の活用、事後監視型社会への移行等を図る」とあります。これにより、経済団体を中心に啓発活動が進められ、2006年に施行された新会社法にその扱いが記され、コンプライアンスの概念が普及していきました。この概念はすっかり定着しましたが、コンプライアンスの為に窮屈になり、不自由になったと思う人が増えているのは事実です。
この概念の内実は変化し続け、経済活動に伴う不正である談合や贈収賄、不正会計などから、2010年代に入るとDEI(多様性・公平性・包括性)に関連したセクハラやパワハラ、差別発言、差別表現などが問題視されることが多くなってきました。
経済活動に伴う不正を防ぐという観点から、人権に関わる不祥事を避けるといった社会的観点に関心がシフトしたのです。そうした状況をSNSが促進したのは間違いありません。
外からどのように見られているのかを気にせず、コンプライアンスの本来の意義である、「自由と自律のためのもの」という理念を取り戻すことが組織にとって重要なのです。
企業の不祥事が続く要因もこの辺りにあるのかもしれません。





株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。