転勤族
幸運だか不幸だか、入社してすぐに京都へ配属された時期を除くと東京の本社勤務がキャリアの殆どを占め、海外も含めて転勤するチャンスはありませんでした。ただ、人事異動の発表前には転勤や出向があるか無いか、大変気になったものです。
国内の転勤先としては札幌や福岡の人気は高く、若手の頃は働くならどちらかがいいなと思っていました。転勤が決まっているわけでもないのに札幌や福岡に勤務している先輩達の東京出張がある毎に現地の事情を伺うのが楽しみでした。札幌では冬の間は仕事も生活も大変厳しいけれど自家用車でまわる北海道の夏は素晴らしいことを教えて貰うと羨ましく思えましたし、九州は各県の担当となり離島も含めて様々な焼酎メーカーを訪問したり、九州ならではの地場企業・産業を発掘したりとダイナミックな仕事内容を思い浮かべては憧れていました。
母方の叔母の家族は転勤族であったため、全ての引っ越し荷物を解くことが無いうちにまた他の土地へ移動すると聞き、従妹も転校ばかりで辛いだろうといつも同情していました。
就職する際も、大学時代の友人のひとりは同じように親が転勤族であったため、将来自分は家族に苦労させたく無いと出来るだけ転勤が少ないところに勤めるべく出身地の地方銀行や公務員を狙っていました。家族を伴っての転勤は本当に大変なものです。
ところで、住宅を購入したり新築したりするタイミングで転勤するとのジンクスもあり、そういった環境になった同僚達は皆、人事異動の時期を恐れていたのも想い出されます。
日本型雇用システム
企業の転勤制度は高度経済成長期に確立した日本型雇用システムの慣行として定着しました。転勤の対象は幹部候補生とされる総合職の男性に多いという偏りが未だに見受けられます。社員の長期雇用の保障やキャリア開発の手段とされ、管理職選抜の意味合いもあり、頻繁に実施されています。
実際、幹部候補の社員は転勤により様々な経験を積み、組織全般を見渡す知見や能力、人脈を獲得しています。
男性に多く発生する転勤が企業内で繰り返されることにより、総合職女性の多くは転勤経験の欠如から自然と昇進コースから排除されるようになります。企業における女性管理職の比率の低さはこれが一因とも考えられます。
女性のパートナー男性が転勤を伴う仕事であれば、女性は男性の仕事を優先することになり退職する割合が増え、妻が家庭を担う性別役割分業を誘引してきたわけです。転勤制度が存在する男性優位の組織構造は日本のジェンダー不平等を長期化させる要因になってきたのです。日本では転勤を拒否しにくかったことも要因のひとつです。
若い世代ではすでに共働きが主流です。転勤など転居を伴う労働移動は少子化に直結する可能性が高いといえます。ジェンダー平等と出生率の安定には、日本型雇用システムから脱却して頻繁な転勤を無くし、転勤も社員の希望に沿ったものとして実施される必要があります。配偶者の就労や家族の同居に配慮するなど具体的な支援策が求められています。
転勤と法律
若い世代は転勤に対する拒否感が高まり、転勤制度の廃止や見直しをする企業が増加傾向にあります。転勤は正社員が避けられない運命と思われていますが、正社員は転勤を受け入れなければならないなどという規定は法律の上では存在しません。
ところが企業の殆どの就業規則には「会社は業務上必要ある場合に、労働者に対して就業する場所及び従事する業務の変更を命ずることがあり、労働者は正当な理由無くこれを拒むことは出来ない」とする規定が含まれ、これが規範化してきました。裁判所も余程のことが無い限り転勤を伴う配転を認めてきたのです。
日本型雇用システムは戦後、労使が共同で作り上げてきました。労使が最も避ける必要があるとするのは解雇であり、どのような仕事や職場にも配転させることで解雇という最悪の事態を避ける必要悪として、転勤は労使双方に受け入れられてきたのです。
21世紀に入り、女性の活躍が求められると2001年の改正育児・介護休業法では転勤を伴う配転により育児や介護が困難となる労働者に配慮する必要性を謳った規定が設けられ、2006年の改正男女雇用機会均等法では総合職の募集・採用で全国転勤を要件とすることや昇進に転勤経験を求めることが間接差別とされました。
ところが、正社員の規範が変わったわけでは無く転勤を受け入れなければならないという法規定はどこにもありませんが、子育てや女性の場合だけ配慮し、それ以外は転勤しなければならないといった暗黙の理解がかえって確立してしまったようにも見受けられます。
転勤制度改革
注目を集める転勤制度改革ですが、企業による新しい人事政策の導入による構造改革の一巻と捉えるべきです。
人事政策の課題には、①人材の獲得・定着化、②テレワークの活用(在宅やサテライトオフィス勤務、モバイルワーク他)、③女性の能力発揮を阻害する要因の除去、④転勤のメリットの相対的低下などがあります。
転勤は人材育成にもつながる重要な人事政策です。人事制度を検討する際に経営側と従業員の双方が要求するものを調整し、事業展開する上での最適解を見つける必要があります。
日本型雇用システムにおいて転勤は、事業拠点への円滑な人材供給と人材育成を満足させるために、基本的には組織主導で決定されてきました。日本の企業は人事部門が配置・異動について幅広い権限を持っています。
組織主導でキャリア形成が行われてきた背景にあるのは、従業員は組織に雇用の保障や人材育成の投資を期待し、それが充たされるなら組織が提示する異動や転勤を受諾するといった組織と従業員の間に依存関係が成立していたと考えられます。意に反した異動や転勤はエンゲージメント(職場と従業員の関係性)を低下させてしまうリスクがあります。どこでどのような仕事をするのかに関して、働く側のキャリア形成につながる裁量度を高め、自律的な能力向上を目指すことは内発的動機づけをもたらします。
経営側としても2020年に経団連がまとめた報告書「Society5.0 時代を切り拓く人材の育成」では働き手に対して主体的に自身のキャリアデザインを描くことを勧めています。
転勤制度改革とは組織と従業員の関係性を「依存」から「自律」へと転換する動きなのです。





株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。