個人的な話で恐縮ですが、先日実家を訪れた際、母(85歳)がウキウキと旅行の準備をしていました。色とりどりの可愛らしいポーチに収まったミニサイズの大人向けスキンケア一式に、なんとマジックで黒々と「1」「2」「3」「朝だけ」「夜の最後」等、書かれているではありませんか。聞けば美容部員の方に書いてもらったとのこと。
リーディンググラス(という名の老眼鏡)を必要とする年代の方々にとっては「あるある」な自衛策のひとつですが、ブランドでライン使いをしているとしばしば陥る「何が何だかわからない現象」への切実な対策です。
シニアの感じる「感情の壁」の正体
計算され尽くした美しいパッケージを台無しにする油性マジック情報や、ブランド名が見えなくなるほどの大きい番号シール。これらを書いたり貼ったりせざるを得なかった美容部員の方々の忸怩たる葛藤が目に浮かびます。
使い手である顧客と商品とのこうした「ずれ」と、現場での無理矢理な調整作業。シニア向けならはじめからわかりやすく表記すればいいのに、と思われるかもしれませんが、ここに立ちはだかるのが「感情の壁」、はじめからあからさまに書かれていたら手に取らないことでしょう。
■条件は皆同じ。だからこそUI/UXの工夫が価値になる
シニア向けに限った話ではありませんが、マーケティングや商品開発の現場ではもはや挨拶以上に「顧客に寄り添う」ことや「生活者理解」が語られ、より良いユーザーインターフェース(UI)についても各社しのぎを削っています。
むろん、一方では法律で記載が義務づけられている情報が増え続け、限られたスペースに収めるにはフォントサイズを落とすしかない、という事情もあります。もはや模様かな、と思うほどの小さな文字をびっしりと収める匠の技には、デザイナーの方々の苦心が伝わってくるようです。
しかし、嘆きやぼやきを言ってもはじまりません。条件はみんな同じであればこそ、工夫のしがいもあるというもの。どんなに素晴らしい商品をつくったとしても、その入り口でサヨナラされてはユーザーエクスペリエンス(UX)としては失敗です。
■不便を我慢しても「年寄り扱いされたくない」
特に、気持ちと身体能力のギャップが大きくなる50代以上に対しては、読みやすければいい、というような単純な話ではありません。
気持ちや好みは若いときと変わらないつもりでも、否応なく少しずつ身体変化を自覚するようになる年代。「年寄り扱いされたくない」「でも、そろそろちょっと不便かも…」という揺らぎにどう対応していくかが価値につながります。
ココロとカラダ、いったいどちらに寄り添えばいいのでしょう。
シニアの行動を止める「すれ違い」「DXへの不適応」「不安」
多くの場合、事前に入念なリサーチを繰り返した上での上市であるはずなのに、なぜターゲット層と手を取り合えないのでしょうか。あからさまな年齢表現や、身体能力の変化に寄り添えば「年寄り向けのこれに手を出したら負け」「まだそっち側には行きたくない」と、無用な意地を刺激してしまいます。
また、慣れ親しんできたブランドの「大人版」シリーズを増やす際、大人感ワードとともに「なぜあえてそうする」と問い質したくなるようなオバサン感漂う色遣いや柄までを付加して、かえってそっぽを向かれたり。
■「あなたのため」が「あなたを置き去り」に
これらは単に使い勝手やデザインの問題ではありません。「あなたのため」と尽くしながら、実際には「あなた(ユーザー)を置き去りにしている」ケースが、意外に多いのではないでしょうか。
こうしたすれ違いはオンラインの場面でも顕著です。
■旅行で起きている“入口でのUターン”
世の中全体で家計不安や将来不安が高まってきているとはいえ、今の60代以上は若いときに培われた価値観と経験に支えられた、消費性向の高い世代。時間のゆとりもあり、今や旅行業界を支える存在であるはずですが、シニア層の旅行経験が低下しているというデータがあります。
明治安田総合研究所のデータ(2025年6月)によると、所得や意欲が落ちているわけでもないのに、70代において以前※より宿泊旅行経験率が約13ポイント低下(宿泊旅行で37.8%)と、その低下率は他年代より大きなものになっています。
※2014~2019年の平均と、2024年の比較
同研究所の木村彩月氏は、「DX化がシニアの旅消費を拒んでいる」と指摘しています。
出典:明治安田総合研究所「失われるシニアの旅行消費~シニアの旅離れはなぜ起きているのか~」
確かに今や新聞広告等もQRコードの読み取りから申込みがはじまる時代です。電話申込みが開始される月曜9時には、既に前夜までのネット申込みでソールドアウトになっていることも珍しくありません。せっかく魅力を感じた旅行を申し込み手前でUターンさせてしまうカスタマージャーニー、下手な洒落にもなりません。
実際にシニアの旅行予約のオンライン行動を把握するため、Web行動ログ分析ツール「Dockpit(ドックピット)」で、「航空券 予約」といったワードで検索する人の年代を見ると、50代以降がネット利用者全体と比較しても低くなっていることがわかります。
「航空券 予約」(「飛行機 予約」も含む)の検索者の年代分布
調査期間:2024年10月~2025年9月
調査デバイス:スマートフォン、PC
【関連記事】クルーズ船に「ステータス」を期待する若年層、「地に足のついた贅沢」を求めるシニア
https://manamina.valuesccg.com/articles/4552クルーズ船人気が再燃しています。かつて定年後のご褒美だったクルーズ旅行は、いまやカジュアル化が進み客層も若返っています。この変化の背景には、令和のシニアが求める新しい贅沢のかたちがありました。データ分析から見えてきたシニアの「地に足のついた贅沢」とは何か、クルーズ旅行の魅力を通じて探ります。
■年齢ではなくデバイス関与度による不安格差
実は、スマホに不慣れなのは70代以上だけではありません。50代、60代においても、それまでの就業環境や交友環境により、操作スキルに意外と大きな隔たりがあることを、還暦前から増え始める同窓会準備等の機会に実感します。
電子チケットやWeb予約、スマートチェックインなど、観光や娯楽のDXの進展は利便性を高める一方、年齢にかかわらず関与が低い人たちにとっては「(何をどうすればいいのか)よくわからない」「詐欺にあいそう」「個人情報は入れない方が良さそう」などの「参加をためらう理由」にもなっているのです。
■「できない」より「こわい」が行動を止める
さらに、ここに「誤操作への恐怖」と「教えてもらえない孤立」が加わります。
トビラシステムズ株式会社の調査によると、65歳以上の約4割がスマホのトラブルにあっても「誰にも相談せず」にいるとの結果となっています。しかも、親族にすら相談しない理由として、「迷惑をかけたくなかったから」(18.8%)「忙しそうだったから」(10.8%)などの遠慮しつつも、「自分一人で解決できると思ったから」(52.0%)がトップであるなど、その自尊心の高さがうかがえます。
こうした操作不安やトラブル不安が、結果的に「触らない」「仕方ない、あきらめよう」という選択をとらせているとしたら、「できない」という機能的な問題以上に、「こわい」という感情的な問題によるストッパーは根が深そうです。
出典:トビラシステムズ株式会社「【敬老の日アンケート調査】高齢者の約4割がスマホトラブル「誰にも相談せず」防犯意識の分かれ目は“家族との会話”」
自尊心に寄り添う4つの成功例:シニアすぎないバランス感、エイジフリーなど
非常に繊細なシニアの「ココロ」と「カラダ」のバランス。シニアマーケティングの難しさをこれまで見てきました。
そのような状況でも、シニアへのコミュニケーションが成功している例も多くあり、ここでは4つの成功例を見ていきます。
■肌を整え、生き方を変える。大人の「おとこ心」に訴求|VARON
シニアの「乙女心」ならぬ微妙な「おとな心」を捉えて成功している例をご紹介します。
男性用スキンケアとしては後発ながら、2022年発売のサントリーウェルネスの「VARON(ヴァロン)」は大ヒットとなりました。毎期ごとに成長し、2025年12月期は56億円の売り上げを見込んでいます。
既に多くのメディアでその成功秘話も語られているので、ご覧になった方も多いでしょう。若い頃の日焼け世代に向けたシミ・シワ対策等の機能訴求はもちろんですが、脱落前に効果が実感できることや通販の強みである電話フォロー等も功を奏しています。
加えて、老けすぎず若作りでもない木梨憲武さんやさまぁ~ずを起用したプロモーションは、おじさん過ぎず、かつ(いかにもな)イケオジ過ぎない絶妙なバランスで、ターゲット層の共感を見事につかんでいます。
さらに、HPにおいてはユーザーの家族が「前向きになった」「イキイキと日々を謳歌している」等、肌を整えるという手段により、生き方が変わるというベネフィットを語ることで大人の「おとこ心」をくすぐっています。
■エイジフリーへの転換|エファージュ
同じくサントリーウェルネスの女性用スキンケアの「エファージュ」。発売後しばらくは「60歳」という年齢を強く打ち出していましたが、現在は年齢を一切出していません(FAQをたどっていくと辛うじて見つけることができます)。
「エファージュ」の画像(https://www.suntory-kenko.com/contents/brands/fage/)
「これに手を出したら負け」という無駄な抵抗を生まない清々しく軽やかな佇まいは、むしろ早めに使い始めたくなる気持ちすら呼び起こします。(サントリーウェルネスが続きましたが、案件ではありません。)
■年齢よりも楽しみ方を指標化|三越伊勢丹ニッコウトラベル
また、比較的高額なツアーが多く、ゆえに年齢層も高めな旅行会社である「三越伊勢丹ニッコウトラベル」のツアー案内は、歩行強度により「ゆったり度」が1~3まで設定されています。
「三越伊勢丹ニッコウトラベル」のゆったり度の記載。年齢の記載はなく、歩行の時間・程度を軸に紹介をしている。(https://www.min-travel.co.jp/features/index.html)
年齢等で区切るのではなく、「どのような旅を楽しみたいか」を反映した選択肢を提供することで、あきらめ感や年齢によるささやかな抵抗感を抱かせない、自尊心を尊重した姿勢が感じられます。
■世代習慣に則したUI|ハルメク・通販生活
ECサイトにおいても「わかっているな」と唸りたくなるサイトは数多くあります。
数多くのインタビュー結果を反映させたきめ細かく的確なサービス提供に定評のある「ハルメク」や「通販生活」などのサイトには、「雑誌で育った世代」を意識した読みやすさがうかがえます。
「通販生活」の公式サイトTOP(https://www.cataloghouse.co.jp/)
トレンド情報を雑誌から仕入れていた世代にとっては、雑誌こそが情報収集のデフォルトスタイル。ビジュアルやコピーの大きさやレイアウトなど、慣れ親しんだ目線の運び方といった「閲覧体験を考慮したWEBのレイアウト」は、雑誌世代のエンゲージメントに確実に影響を与えているでしょう。
マーケターが卒業すべき「露骨なコミュニケーション」「概念シニア」
成功しているシニアマーケティングから少しずつヒントも見えてきたころでしょうか。最後に「避けたいシニア広告の表現」「考え方」をポイントにまとめます。
■リアルな自分には目を背けたい
ターゲットの共感や寄り添いを追究するあまり、リアルで生々しい表現をしていないでしょうか。それらはわかりやすい代わりに、見たくもない自分の姿を直視することにもつながり、諸刃の剣になりかねません。
そう、なぜか中高年向けの広告はこうした見たくもない姿を無理矢理見せるような、もはや拷問ともいえる広告が非常に多いのです。「□□□だけは絶対に買うものか」とまで心を閉ざさせて、いったい何を売ろうというのでしょうか。
■「自分の親」を解像度高く動かしてみる
機能的な「使いやすさ」は、もはや最低限の要件。そして、その「使いやすさ」を届けるためには、感情に配慮した伝え方が必要です。
とはいえ、マーケター自身が「届かない構造」を見落としていることも多いもの。「シニア向け」と書きながら、実際には「若い制作者が想像する概念シニア」のままであることも見受けられます。
確かに、自分が経験したことがないココロとカラダから生まれる微妙な葛藤をデータから読み取るのは難しいでしょう。
データによる素地が整ったら、いったん素直に「自分の親ならどう思うか、どう使うか」という視点でジャーニーを解像度高く描いてみてはいかがでしょう。
〈あしたのシニア 感情デザイン・チャレンジ〉
「感情の壁」にはシニアフレンドリーより、エイジフリー発想が効きます。
手元の「シニア向け商品・プロモーション」をエイジフリー発想でリデザインしたら、どうなりますか?






戦略コンサルタント。株式会社ウエーブプラネット代表取締役。
慶應義塾大学卒業後 、商業施設の企画開発会社にてターゲット戦略やコンセプト開発 、未来のくらし研究を担当。
1993年に株式会社ウエーブプラネットを設立。生活者研究、各種インサイト探索調査、コンセプト・ナビゲーション、コンサルティングなどを通して、トイレタリー ・飲料・食品・化粧品・住宅・家電・住設など、 さまざまな大手企業のマーケティング支援に携わっている 。時代と生活者の価値観やインサイト、企業理念等を言語化していくプロセスに定評がある。
近著『いちばんわかりやすい問題発見の授業』