松山市と市内交通
四国4県を巡るバスツアーに参加してきました。四国は香川県と愛媛県には仕事の関係で、以前訪れたことがありましたが、高知県と徳島県には公私共に行く機会に恵まれず、待望の旅行です。バスに乗り、弾丸のように四国を周遊したため、帰宅してもしばらくはバスに乗車しているような感覚が残り、なかなか回復できませんでした。天気に恵まれたとは言い難いのですが、充実した温故知新の観光を楽しめました。一日目は福山からしまなみ街道経由で道後温泉に宿泊。天気も良く素晴らしい景色を堪能しました。伊予鉄道道後温泉駅から路面電車に乗り込み、松山城を見学。秋山好古、真之兄弟や正岡子規に思いを寄せました。路面電車を楽しみながら、城下町として愛媛の中心都市として発展を遂げた松山市を見廻すことができました。道後温泉駅は1911年に建築された旧駅舎を復元し、明治時代の洋風建築の外観は粋で、坊ちゃん列車の終着駅でもあります。車から歩行者中心の社会へと移行する現在、路面電車の価値が高まっていることを実感しました。また、サーキュラーエコノミーを推進するためにも新しい交通システムを研究し、都市に導入することは街の活性化につながります。職住一体でしかも温泉が生活圏にある城下町、松山。魅力あふれる街でした。
新交通システム
新交通システムは都市中量輸送システム(medium-capacity transportation system)を指し、輸送力が高く新しい交通システムとして注目されています。交通渋滞を避け、環境に優しく、これからの街づくりにふさわしい交通体系を構築します。1981年に神戸で開催された「ポートアイランド博覧会」で海上輸送として使用されたポートライナーが日本初の実用路線です。ここでは5種類のシステムを紹介します。①AGT。小型で軽量のゴムタイヤ式車両が高架などの専用軌道を運行し、完全自動運行システムによる無人運転が可能なシステムで、表定速度は時速15-30㎞です。東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ、横浜新都市交通金沢シーサイドライン、神戸新交通ポートアイランド線・六甲アイランド線などで活用されています。②モノレール。1本の走行路上にゴムの車両がまたがる、もしくはぶら下がる形式の交通システムでAGTと比べて専用空間が小さいのが特徴です。多摩都市モノレール、沖縄都市モノレール、千葉モノレールタウンライナーなどに導入されています。③LRT(次世代型路面電車)。専用または分離軌道上を高性能車両が運行する、従来の路面電車を発展させた次世代型路面電車です。本年8月26日に開業した話題の芳賀・宇都宮LRT、富山ライトレールなどが代表例です。➃リニア地下鉄。動力にリニアモーターを採用し、小型化された車両を使用する地下鉄で、これまでの地下鉄と比較すると導入費用が安価といったメリットがあります。都営地下鉄大江戸線、神戸市営地下鉄海岸線などで運行されています。⑤ガイドウェイバス。高架専用軌道を敷設し、ガイドレールに沿って運行するシステムで、一般道路も走行できる性能があります。名古屋ガイドウェイバス志段味線などに導入例があります。
コンパクトな街づくり
郊外へ拡大する土地利用を抑制し、同時に中心市街地の活性化が図られ、生活に必要な機能が集積した効率的で持続可能な都市がコンパクトシティ(compact city)です。それを目指した都市政策とは、深刻な人口減少や高齢化、環境・自然保護のため、都市の規模を縮小して、行政サービスの効率化や財政支出の削減などを図ることです。また、都市部から郊外に向けて、無秩序かつ無計画、小規模な開発が進められるスプロール現象を抑えることが求められています。スプロール現象は交通弱者をつくり、インフラ整備を伴わない乱開発を招くなど様々な問題点が指摘されています。徒歩で行動できる範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすい街づくりを目指そうとするのがコンパクトシティの真の発想です。
松山市は温泉(道後温泉)、歴史(松山城)、交通(路面電車)の三つのレガシーを上手く街づくりに活用しています。大街道から松山城のロープウエイまでのエリアをロープウエイ商店街として、あるいは花園町通りを歩きやすい街並みとして整備し、歩行者中心のコンパクトな街づくりを目指しています。
他に注目される都市は新交通システムLRT(次世代型路面電車)を交通手段に導入し、持続可能なコンパクトシティを目指す富山市。富山市周辺への住民の転入が相次いで、沿線の地価も上昇しています。郊外で暮らして車で移動するといった従来の生活スタイルを、公共交通によって変えることができた一例です。ただ、中心部の人口減は収まりましたが、商業機能は依然として郊外にあるといった指摘もあります。
コンパクトシティの課題
1990年代にコンパクトシティについての議論が日本でも活発化し、バブル崩壊後に中心市街地の衰退が進んだことから、1998年「中心市街地活性化法」が制定されました。ところが、同年「改正都市計画法」、続いて2000年に「大規模小売店舗立地法」が相次ぎ制定され、郊外の開発の規制緩和につながり、正反対の政策が同時に進められることとなりました。その後、国は「まちづくり3法改正」、「改正都市再生特別措置法」で修正を図りましたが、中心市街地の再整備と郊外の大規模開発を同時並行で進める矛盾は解決されていません。
現在、郊外型の大型商業施設の多くはかつての中心市街地や商店街のような人が集まる場として機能しています。実際、住民達はコンパクト化を望んでいない可能性もあります。住民の意向に正面から向き合い、まちの空洞化に歯止めをかける政策が必要です。事実、全国ではコンパクト化の失敗例も相次ぎ、「ハコモノ施設」に頼った活性化策には限界があるといえます。元々、日本国内は東京一極集中が続いています。若者を惹きつける魅力ある都市計画が無ければ、若者は都心に向かい、地方はますます衰退する一方です。1970年代に米国の研究者が都市空間を有効利用する概念として、コンパクトシティを造語しました。欧米ではその概念通りの成功例も存在しています。
日本ではまだ認識が薄い概念であるコンパクトシティ。欧米の成功例をヒントに、日本独自のコンパクト化を探り、成功例を増やす必要があります。国土の将来像を明確化し、これからの日本社会における地方都市のあり方について、大胆な方向性を示すことが肝要です。
株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。