行動経済学における「ナッジ」
英単語としての「ナッジ(nudge)」は、「肘などで軽く相手をつついて注意をうながす」という意味です。行動経済学の用語としては、前述のように「望ましい自発的な行動を促す手法」となり、ある目的を達成したいと考える人に対してそのための行動を促進するもの、そして、具体的な目的を持っていない人に対し、理想を持たせて行動させるという2つのパターンが存在します。
従来の経済学では、人は自己の利益を最大化する合理的な行動を取る、という前提を置きますが、実際には人は一見非合理な行動を取ることがあります。この現象を心理学的なアプローチを加え分析・理論化した分野が行動経済学です。言い換えれば、人は場面によって主観的な評価をしてしまう傾向がある、ということです。
このような「心理的な傾向」の身近な例として、コンビニやスーパーのレジ前の床に一定間隔で描かれた靴のイラスト。これは、その位置に並んでソーシャルディスタンスを保ってください、という意図が込められています。
このナッジでは、靴のイラストがある所以外に並ぶと、なんだか気分がよくないという心理を利用して、望ましい行動を引き出します。
経済学や経済行動に心理学を交えて分析する「行動経済学」。サンクコストや現状維持バイアスなど有名な理論も含まれ、2017年にリチャード・セイラー教授がノーベル経済学賞を受賞し、さらに注目を集めるようになりました。今回は、行動経済学と経済学の違いから行動経済学をビジネスやマーケティングにどのように落とし込んで実践するかを解説します。
ナッジの活用例
海外で既に活用されているナッジの事例を紹介します。
■アムステルダムの男性用トイレにおけるナッジ事例
アムステルダムのスキポール空港では、男性用トイレの小便器にハエの絵が描かれています。その理由は、人は的(まと)があるとそこを狙いたくなる心理を利用し、便器外に尿を飛ばさないよう誘導しています。このナッジ事例では、床が汚れにくくなることで、清掃費用を8割削減させる効果がありました。
男性用トイレでは、小便器の前に「トイレをきれいに使いましょう」だったり、その意味を込めた「一歩前へ」などと貼り紙している場合があります。これは言葉づかいとしては丁寧ですが、注意喚起や具体的な行動を指示する、より直接的なメッセージと言えます。
しかし、ハエの絵に関してはあくまでも利用者が自主的に、そして自然な行動として狙います。その結果、トイレがきれいに保たれる効果を得たという点がポイントで、ナッジの代表的な成功例とされています。
行動経済学で人の心を操る現代の魔法「ナッジ」とは何か | ノーベル経済学賞セイラー教授の「発明」
https://courrier.jp/news/archives/99941/人間行動の分析結果は「ハエの絵」に結実した──? 私たちの意思決定は「ナッジ」を駆使することですでに先回りされている。2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー教授が生み出した「ナッジ」を詳細に解説する。1999年のことだ。アムステルダムのスキポール空港は経費削減のため、男子トイレに目を付けた。床の清…
■イギリスの税金回収におけるナッジ事例
イギリスのナッジを政策に利用するための専門チーム(BIT)が歳入関税局とともにある実証事件を行いました。その内容は、納税率の向上です。
税金を滞納している人への通知書に「あなたが住むこの地域の納税率は○○%です」という一文を書き添えました。すると、その地域におけるある年の滞納率が下がり、結果的に納税率が68%から83%へ、つまり15%上昇の効果を得られました。
たった一行の文章が滞納者へのプレッシャー、義務履行への意識の高まりとなって、「自分は滞納した側には入りたくない」と心理を変え、滞納していた税金を自ら進んで納める行動を得た、という点がポイントです。
■タバコの吸い殻で投票させポイ捨てを減らしたナッジ事例
タバコのポイ捨てが問題になっていたロンドンで、NPO団体「Hubbub」が「世界一のサッカー選手は」という質問を掲げ、その前にメッシ選手とロナウド選手の名前をつけた吸い殻入れを設置し、いずれかに投票できるようにしました。
この「タバコの吸い殻で投票」というシステムによって、ポイ捨てを大幅削減に成功しました。それまで路上などに吸い殻をポイ捨てする習慣があっても、前述したようなユニークなしかけ(投票できる吸い殻入れ)によって、そこに投票(=捨てる)するという、望ましい自発的な行動を起こすきっかけの創造に成功しています。
■ビュッフェの陳列順で健康的な食事へ導くナッジ事例
ビュッフェスタイルの食事では、列の先頭に並べた品の方が取られやすい研究結果があります。これを利用して、列の前半に野菜や果物を置くことで、健康的な食事へ結び付けるナッジが可能です。
ナッジ作成に役立つ原則とフレームワーク
実際にナッジを作成する際は、以下で紹介する原則とフレームワークの活用が役立ちます。
■6つの原則「NUDGES」
書籍『実践 行動経済学』で、人々に良い選択をしてもらうための基本原則は6つあり、上記の画像のようにそれぞれの文字を取って「NUDGES」としています。
N=iNcentives:インセンティブ
ナッジにかかわるすべての人にとって利があるようにします
U=Understanding mappings:マッピングを理解
マッピングとは選択結果の対応関係で、これを理解する必要があります
D=Defaults:デフォルト
デフォルトが「良い」選択になるようにします
G=Give feedback:フィードバック
選択結果に対して、適宜フィードバックを与えるようにします
E=Expect error:エラーの予測
設計するナッジはエラー・不具合が起こってしまうという前提に立ち、それの防止策、最小化するための策を立てます
S=Structure complex choices:複雑な選択の体系化
複雑な選択肢を整理して、良い選択ができる手助けをします
この6項目の原則をベースとし、さらに利用する人が直感的に理解しやすくすると、より良い選択に導けます。
■ナッジの「EAST」フレームワーク
続いて紹介するナッジ作成時のフレームワーク「EAST」は、イギリス政府がナッジを活用する中で効果的だった4つをまとめたものです。
E=Easy:簡単である
誰もが理解しやすいようにシンプルなメッセージにしたり、設計の際に面倒や手間をなるべく省くようにします
A=Attractive:魅力的である
金銭以外の「魅力的」なインセンティブを用意します。例えば、失効期限のあるポイントを無料で提供する、といったインセンティブです
S=Social:社会性を問う
多くの人が正しいことをしている、というような社会的規範を提示します
T=Timely:タイムリーである
ナッジを示すタイミングは、利用者にとってタイムリーであることが重要です
まとめ
ナッジ理論をマーケティングや売り場の中で適切に活用すれば、これまでかけていたコストの削減した上で、元々の効果を得られる可能性があります。
最初からナッジ理論にもとづいた大がかりな施策を考えるのもよいのですが、まずはその一歩として、既存の広告の文言をひとこと変えてみたり、具体的な統計データを盛り込むなど、ちょっとした工夫で実践してみると良いでしょう。
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