人生の舞台「駅」
「駅」。別れや出会い、極端には愛憎の舞台として最も印象に残る場所のひとつです。数多くの小説、映画、詩、歌などに登場し、文化の起点・終点としても、あるいはビジネスやレジャーにおいて、またオンもオフも「駅」から話は始まり、終わります。場としての「駅」の存在感は計り知れないものがあります。特に『終着駅』という言葉に底知れぬロマンと哀愁を感じてしまうのは私だけでしょうか。
子供の頃から自宅のある下北沢で、特に何か目的がある訳ではないのですが、時間があると駅方面へぶらつき、役に立つか立たないかは別として何かを見つけ、身に着けて帰宅するという感じの習慣を未だに続けています。目には見えない何かを吸収しているのでしょうか。これも「駅」あるいは「駅周辺」の持つ不思議な吸引力であり、魅力だと思います。
全国津津浦浦に「駅」は存在します。ただ、最近は過疎化が進み、鉄道路線が無くなり、電車が走らなくなった地域も拡大しています。広い意味で「駅」にバス停や道の駅なども含めると、地方や郊外においてはなおも「駅」は仕事や生活の基点であり、大切な存在です。
都市政策の基本として、コンパクトシティ化が進展し、都市の土地利用は郊外への拡大が抑制される傾向です。同時に中心市街地の活性化が図られ、生活に必要な機能を備え、効率的で持続可能な都市の育成が求められています。地方や郊外における「駅」の存在意義は基本的には変化しないものの人口減少が重くのしかかると予想されます。
新型コロナと鉄道利用
新型コロナの感染拡大が始まった当初、鉄道への影響は大きいものがありました。働き方改革の促進やテレワークの普及により、鉄道利用そのものが減少。そのため、運輸収入も減り、3月のダイヤ改正ではJR、大手私鉄が軒並みに減便しました。また、会食自粛などもあり、深夜時間帯の鉄道利用者も減少し、終電車時刻の繰り上げを各社がそれぞれ実施しました。ただ、繰り上げた分の時間は、線路などの保守作業時間に充当され、作業員の労働改善と作業効率の向上につながっているのも事実です。鉄道各社は生き残りをかけて、今後進める運賃制度の改正や駅業務の見直しなどさらなるコスト削減に努めている現状です。
進む東京の再開発
2021年に東京2020オリンピック・パラリンピックが開催され、東京は各地で再開発が進みました。新型コロナの影響で来日する観客や観光客もほとんどなく、少々寂しい会期中でしたが再開発は粛々と進み、現在も進行中の地域も多々あります。1964年に開催された先の東京オリンピック・パラリンピックでは高速道路や新幹線などの交通網をはじめとした社会インフラ整備が進み、その後の経済成長の原動力となり、我々のビジネスや生活に多大な恩恵をもたらしました。
今回も新国立競技場などの新しい施設、スポーツ文化や「おもてなし」の精神、共生社会など残された有形・無形のレガシーがこれからの世代への有効な資産として活用されることを祈っています。レガシーの一例をあげれば、江戸城は400年以上前に築城しました。完成までかなりの年月、建築費、労力が費やされたことと想像できます。封建社会が終了し、明治維新後も歴史に残る建造物として世界に誇る観光資源となり、今や東京の観光スポットの目玉のひとつとしての役割を果たしています。
現在進行中の再開発として、特に目立つのは渋谷でしょう。100年に一度の大改造が進行中で、駅の周りは摩天楼が数本そびえ立つ、未来社会の如くです。渋谷駅は東京観光においてはハブ的な役割を果たしていて、大規模商業施設も「渋谷ストリーム」、「渋谷スクランブルスクエア東棟」、「渋谷PARCO」、「渋谷フクラス」、などがこの数年で開業し、2027年度まで再開発プロジェクトが続々と完成・開業します。新しい商業施設を回遊して楽しめることで、全てが完成・開業したあかつきには渋谷は都市間競争・沿線間競争にも一歩先を行く街になると期待されます。
「駅」を中心とした街づくり
日本では「駅」を中心に発展した街が数多く見受けられます。現在も都心の主要な「駅周辺」では住まいやオフィスを融合した複合的な再開発事業が進行中です。街づくりの進め方も職住近接など多様な働き方や住まい方、自然との共存など様々な新しい課題に対応することが求められています。
「駅」と街の一体開発で新しい消費や発展する街を創造するモデルは、公共交通システムと共に、アジア諸都市への輸出も始まっています。世界的なトレンドとしては車だけに依存しない街づくりTOD(公共交通指向型開発)や複数の交通手段を一つのサービス上に統合し、より便利な移動を実現するMaaS(マース)の進化など新しい仕組みの導入による都市間競争も激化しています。これからの移動手段には電動キックボードや小型電動アシスト自転車といった電動マイクロモビリティの利用も注目されます。
ただ、海外では駅は街の中心部や商業施設とは離れた場所に設置されたり、鉄道の起点・終点の意味でのみ設けられた「駅」も存在します。第2次大戦後、焦土と化した日本の各都市では戦後の急速な復興が望まれました。その際、復興には第一にスピードが求められました。そこで、注目されたのは社会資本整備の一環として、既に存在していた鉄道の路線にある「駅」や「新駅」を核とした商業施設の建設や消費市場の整備です。その結果、人口が流入し消費は拡大、街も活性化し、景気も徐々に回復しました。さらに鉄道ばかりではなく、港湾や空港なども鉄道とは異なる過程を経て、戦後整備され、活性化し、復興を助けました。空港の無い県が少ない程、空港は戦後、次々に地方に設置されました。新幹線や高速道路と同じく戦後復興の原動力となり、人や物を運ぶ上で経済活動の中心となりました。
取り巻く経済環境は日毎に不透明感を増しています。都市が「駅」を中心に活性化し、便利で豊かな環境を創造することは景気の持続的な成長をもたらします。これからも「駅」は日本経済が再生するための出発点としての役割を存分に見せつけることになるでしょう。
【関連】街とブランドの関係性 ~下北沢再開発から見た街のブランド価値
https://manamina.valuesccg.com/articles/1879お気に入りの街はありますか。昔ながらの風情や人情味のある街、都市計画で整備され高層ビルと街路樹が調和した街、再開発で新旧カルチャーが融合する街など、街の持つ個性やブランドイメージは、そこに住む人、訪れる人にも様々な影響を及ぼします。 広告・マーケティング業界に40年近く従事し、現在は株式会社創造開発研究所所長を務めている渡部数俊氏に、「街とブランドの関係性」を考察いただきました。
株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。