噂の発信源
小学生の頃の第一の関心事は授業の休み時間と放課後の友人達との遊びです。最も印象に残り楽しかったのは馬乗りと缶蹴りです。馬乗りではまずはじゃんけんをしてチームのメンバーを決めるところからはじまります。当時は綺羅星の如く馬乗りの達人が揃い、大抵彼らの中から2人がそれぞれ10人程のチームのリーダーとなり、はじめに「とりとり」という手法で参加する友人達から強かったり人気があったりする者を順に選んでチームを編成します。攻める側は潰れそうな友人めがけて皆で集中して乗り込む、守る側は揺らしたりすかしたりして乗る際の邪魔をする、など駆け引きが面白いのとゲームの最中に自分がどのように目立った動きをしたらチームが勝てるかがポイントです。軟弱と思われていたのに予想外に粘り強かったり、じゃんけんが驚異的に弱かったり、スポーツ万能の健康優良児が馬乗りを不得意にしていたりと不思議と友人達のその後の人生模様を垣間見るようでした。
翻って缶蹴り。缶蹴りはいかに鬼を騙せるか戦略を立てる必要があります。特に鬼を引き付ける役どころを上手く演じきる友人がいました。とにかく頭の回転が速く状況を見極める能力を持ち、鬼を錯乱させて缶を蹴るタイミングを見つける、小学生ながらの知恵と戦略は常に尊敬の的でした。小学校卒業後の彼の消息はわかりませんが、我々仲間の関心や注目を一身に集める手腕は順調に成長していれば、一廉の知恵者として経済社会に適合して成功していると思われます。今になって考えると当時の彼は我々仲間達の噂の発信源でもありました。

アテンションエコノミー
インターネットの発達により、現代は情報過多といっても差し支えない程の高度情報化社会にあります。SNSの普及は政治や選挙に直接の影響を与えるまでとなっています。この社会においては情報の質よりも人々の関心や注目を集めることが経済的利益を大きくすることを指摘した概念がアテンションエコノミー(attention economy)です。関心経済とも和訳されています。「情報の質的な正確性・倫理性・有効性」と「人々の関心や注目」は合致する場合も相反する場合もあります。相反する場合には、虚偽報道(フェイクニュース)や炎上マーケティング(炎上商法)、扇情主義(センセーショリズム)などの社会問題を引き起こします。特に初めから虚偽であることを認識した上で情報発信する架空の報道や推測を事実のように報道するなど故意のものについては捏造報道といわれています。
1978年のノーベル経済学賞を受賞した多彩な学問領域を持つ知の巨人ハーバード・サイモン氏が1960年代に情報経済において「アテンション(関心)」が通貨のように取引されると予言し、1997年アメリカの社会学者マイケル・ハーバー氏がアテンションエコノミーを提唱し、現実化されました。
最近、アテンションエコノミーは負の側面が問題視されるケースが増え、総務省発行の令和5年(2023年)版の情報通信白書でも、インターネットでの偽・誤情報の拡散についての現状分析の冒頭でアテンションエコノミーの拡がりを取りあげています。

ダークパターン
主にWebサイトなどで消費者が本来望まない選択をさせるマーケティング手法をダークパターンあるいはディセプティブ(人を欺く)パターンと呼びます。消費者を騙すために慎重に作られたユーザーインターフェースのことであり、認知バイアスを活用して消費者が思っている以上に多くの時間やお金を費やすよう設計されています。特に日本では海外の通販サイトによる被害が拡大・続出しています。中でもSNSの広告経由で悪質サイトへ誘導され、消費者が誤解しやすい二重価格などの価格表示や知らないうちにサブスクリプションサービスに登録されるケースが目立って増えています。他にも視覚的なトリックやカウントダウン表示で購入を急がせる仕掛けなどその種類は多岐にわたっています。
日本では2022年に取引デジタルプラットフォーム消費者保護法が施行され、オンラインモールなどに通信販売取引の適正化義務が課されましたが、努力義務に留まり広告を掲載しているだけのSNS事業者は対象にはなりません。EUではデジタル市場法(DMA)やデジタルサービス法(DSA)で、アメリカでは連邦取引委員会(FTC)法第5条が欺瞞的な取引を取り締まっています。一方、日本の消費者法制度では景品表示法などが部分的に規制しますが、デジタル化で多様化する表示を網羅し切れていないのが現状で、消費者保護の規制は海外事業者へ届きにくいのが最大の課題です。
弊害と今後
実際、アテンションエコノミーには懸念される幾つかの現象が起きています。①ソーシャルメディアのアルゴリズムは、ユーザー好みのコンテンツを表示する傾向があり、その結果同じ考えを持つ人々が互いの意見を強化し合い、異なる意見を排除する「エコーチェンバー」という現象が起こりやすくなり、人が新しい視点や異なる意見を取り入れることを困難にしています。②検索エンジンやSNSのアルゴリズムが、ユーザーの過去の行動履歴に基づいて情報をフィルタリングすることで起こる「フィルターバブル」が生じます。人の視野が狭くなりがちとなり、世界観が偏る可能性があります。③若い世代のSNSへの依存症やそれに伴うメンタル不調が目立っています。SNSの背後にあるテクノロジーは注意・関心を引き続けるために中毒性をもたらすように設計されており、利用者がスマートフォンを絶え間なくチェックするといった依存症が現れています。➃ポップアップ広告やSNSの通知などに絶えず注意・関心を惹かれることで仕事や生活に深く集中することが妨げられています。
以上のようなアテンションエコノミーの弊害をハーバード・サイモン氏は「情報過多は注意の貧困を招く」と予言しています。インターネットの普及やテクノロジーの進化により、我々は多くの便利なサービスを使用できるようになりました。一方で、進化し続けるAIの影響も念頭に、今後も起こり得る様々な社会課題に対処する必要があります。この機会に再度SNSやテクノロジーとの接し方を個々が再考する必要があるかもしれません。デジタルデトックスの機会を設けるのも有意義でしょう。プラットフォーム企業が安心してSNSなどのサービスを使用できるような仕組みの改善を我々に提供出来るかも注目したい点です。
株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。