リスクとプロスペクト理論 ~ 行動経済学から

リスクとプロスペクト理論 ~ 行動経済学から

“リスク”と聞いて真っ先に好印象を抱く人はそう居ないのではないでしょうか。人間は誰しもリスクとは無縁でありたいと考えるものです。近年、行動経済学上では、人間のリスク回避に際する心理状態に基づき、それらを細分化・分析した様々なプロスペクト理論が進化を遂げています。リスクを通して人の心理を詳らかにするプロスペクト理論をどのようにしてマーケティングへ転用するのか、広告・マーケティング業界に40年近く従事し、現在は株式会社創造開発研究所所長を務めている渡部数俊氏が解説します。


リスクとは

ビジネスにおいてはリスクが付きものです。リスクを抱え込んで、考え過ぎて眠れない夜を過ごしたり、早朝に突然目が覚めてしまった苦しい思い出の数々が心に蘇ります。運良くリスクを回避できれば安心しますが、すぐに別のリスクを抱えることになるのが常。リスクが問題化するケースも多く、解決するために必死に努力することが「仕事の意味」なのでしょうか。リスクヘッジをし、リスクマネジメントを念頭に「仕事」を進めろと常々上司から指導を受けましたが、予期できないリスクを背負うことも多々あり、解決するために時間と労力がのしかかったことが思い出されます。

改めて、良かったことはリスクを回避するにあたり、職場の同僚達との連携が深まったこと、回避するために有益な情報を集めて「仕事」の進め方・落としどころを体得したこと、リスク案件がある相手先とコミュニケーションを深め新たな友好関係が築けたことなどです。リスクの効用?でしょうか、取り組んだ「仕事」の数々は後に有形・無形の資産として自分の力となり、蓄積できたと今では感謝しています。

リスクに対処する際、人間は多くの現状を変えることに臆病なもので変化自体を本能的に嫌い、慣れた生活や慣習に縛られる傾向があることを前提に進める必要があります。

リスクとは

経済学におけるリスク

リスク(risk)とは日本語では危険と訳されます。「将来のいずれかの時に何か悪い事象が起こる可能性」を指します。一方で「良い事象が起こる可能性」も含まれると考える有識者も存在します。

経済学において、リスクとは「一般的にある事象の変動に関する不確実性」を指し、一般のリスクの概念とは多少異なります。収益や損失、あるいはその可能性、それぞれをリスクと定義するのではなく、包括的な不確実性をリスクと呼びます。この概念は金融理論によく使用されます。近年、注目される金融工学は金融理論や統計学を駆使して、リスクを活用することが本質です。

投資を行う際、少しでも高い利益、高リターンを得たい場合、それに伴う大きな損失を覚悟で運用する必要があります。研究を重ねて決断して投資するのは当然ですが、予期できないケースも多く存在します。そのため投資対象を多様化させる分散投資(リスク分散)は、価格変動リスクを低減させて高リターンを目指す手法であり、リスク回避の有効例です。投資先を可能な限り分散し、固有リスクを分散することで投資によるリスクは市場リスクへ近づけることができます。市場リスクとは株式投資の場合では市場平均のようなもので日経平均やTOPIXなどです。

リスクといえばまずは保険を頭に浮べる方が多いと思われます。リスクは保険においては、万一の事故・事態や損害を受ける可能性のあることを指します。一般に保険は将来起こる可能性のあるリスクに対して、予想される発生の確率に見合った一定の保険料を加入者が公平に分担して保険事故に備える「相互扶助の精神」から生まれた、助け合いの制度から成り立っています。我々にとって身近な保険はリスクの賜物なのです。

経済学におけるリスク

プロスペクト理論

近年、行動経済学は一段と注目されています。その代表的な理論がプロスペクト理論です。プロスペクト(prospect)とは、見込み、見通し、期待、展望、という意味です。例えば、将来の景気動向について学者や有識者が占う見通し、この見通しがプロスペクトです。不確実性下における意思決定モデルのひとつです。

人は与えられた情報によっては、期待値(事象が起こる確率)を念頭に判断せずに、状況・環境や条件から期待値とは異なるあるいは別の判断を行ってしまうことを理論化したものがプロスペクト理論です。プロスペクト理論では「人は損失を避けようとする習性がある」と考えられていて、この損失を回避しようとする思考・行動が『損失回避性』です。人は損失を避けたいと思うあまり、合理的でない選択をしてしまうことがあるのです。

他にも価値を「絶対的ではなく、相対的に」判断する『参照点依存性』があります。これは最終的に支払う金額が同じでも、元値となる「参照点」から割引されていることが理解できれば得したと感じ、相対的に高い価値を獲得できたと納得する心理作用です。同じ損失額でも母数が大きくなる程、鈍感になる『感応度逓減性』といった心理作用も存在します。

これらの意思決定に関するプロスペクト理論は実際のビジネスや行政など様々な分野で研究され、応用が進んでいます。今後、AIの進化により理論の実践が進むと予想されます。

プロスペクト理論

マーケティングへの応用

プロスペクト理論はマーケティングに対して大きな影響を与えています。マーケティングの現場では身近に6つの応用例があります。①「ポイントサービス」は損失回避性を使い、消費者が商品・サービスを購入する際にポイントが貯まることで損していないという実感を持たせる戦略です。②「期限限定のセール」、③「無料キャンペーン」はよく見かけるセールス活動ですが、それぞれ両方共に損失回避性の心理作用があるのは明白です。➃「返金保証」、⑤「修理・交換保証」は商品が購入後すぐに故障したり、自分に合わないサービスであった場合、損失回避が購入時から保証されることを示しています。素早く返金されたり、修理や交換が可能であったりすることで安心して購入出来ます。⑥「商品のランク付け」は例えば、松・竹・梅のように3段階に商品・サービスをランク付けした場合、真ん中のランクが選択されやすい傾向があります。『参照点依存性』の観点からは、一番上のランクである「松」は選ばれづらく、『損失回避性』の観点からは一番下のランクの「梅」だと損すると感じ、結果として最も損がなそうな「竹」が選ばれやすくなると考えられます。
 
プロスペクト理論を含めて行動経済学をマーケティングで実践する場合、消費者を困らせたり煽ったりすることなく、消費者がどのような情報を求めているのか、あるいは購入するために不安な材料は何かなどをリサーチする際のヒントとして活用すべきです。

消費者行動は複雑化しています。同時に行動経済学も深化・発展しています。

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この記事のライター

株式会社創造開発研究所所長。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。

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行動経済学 渡部数俊

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