不透明な地政学リスクに向き合う日本企業の現状、そしてこれから
米中対立や台湾情勢、ウクライナ情勢などに代表されるように、世界情勢は多くの難題を抱え、企業は常にその影響を受けざるを得ない状況が続いています。昨年10月、軍事転用可能な先端半導体の技術や製造装置が中国に流出することを防止するため、バイデン政権は対中半導体規制を発表しましたが、昨今日本はそれに協力するよう求める米国の要請を受け入れることを決定しました。
日本は半導体製造装置で主要な輸出国ですが、中国にその多くを輸出してきました。しかし、今回米国に同調することで対中輸出が制限を受けることになり、中国側からも貿易規制など対抗措置が取られる可能性もあります。
また、米中対立や日中関係の不透明性や不確実性を懸念し、脱中国を図る動きも見られます。
キヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長は昨年10月、地政学リスクを懸念し、工場の展開など生産拠点で日本回帰や第3国への移転の可能性を示唆。大手自動車メーカーのホンダは昨年8月、国際的な部品のサプライチェーンを再編し、中国とその他地域の切り離しを進める方針を示し、マツダも昨年8月、部品の対中依存度を下げると発表しました。
地政学リスクの不透明性や不確実性、その爆発が懸念され、各企業も様々な行動を打ち出す中、これからどうすればいいのかと悩んでいる企業も多いかと思われます。本稿では、日本企業は今後どうするべきかを提示し、近年の企業の取り組みを紹介したいと思います。
地政学リスクに憂慮しながらも日本企業はどうするべきか
まず、前提となりますが、地政学リスクが今後なくなることはありませんし、企業はこれに対応しながら経済活動を継続していくことになります。地政学リスクから影響を受けないでビジネスを展開できると考えるべきではないでしょう。そうあるならば、やはり企業独自で対策を強化するしか方法はありません。企業によって事業規模が異なりますので、資金的にもマンパワー的にも地政学リスクに対処する余裕はないと感じる企業もあるかもしれません。しかし、第一に重要なのは、地政学リスクを職務とする担当者を会社内に置くことです。企業によって進出する国も異なりますが、自社が進出する国の政治や治安情勢を日々チェックし、抗議デモやテロなど、駐在員の安全を脅かすような動きがあれば、すぐに経営層に問題提起できる人材が求められます。そういった危機管理体制を制度化できれば、迅速な経営判断で事態が悪化する前に駐在員を帰国、もしくは第三国へ退避させられる可能性も高まります。
そして、さらに可能であれば、担当者1人だけでなく、複数人体制での危機管理部署を設置、強化することが望まれます。地政学リスクや海外危機管理と聞くと、否応なくネガティブなイメージが先行し後回しにされてしまいがちですが、現在、政治と経済の境界線は薄まり、経済や貿易といった分野は国家間紛争の主戦場になっており、企業は先行して影響を受けるリスクがあります。よって、担当者1人に任せるのではなく、部署を設置・状況監視を強化することで、より多くの情報を入手し、分析し、社内で共有し、対地政学リスクでレジリエンスを高めることができるでしょう。
しかし、担当者を置き、担当部署を設置・強化しても、地政学リスクを扱える一定の専門性も必要不可欠です。地政学リスクを扱うためには、国際政治や安全保障のバックグランドが極めて重要で、企業としてはそういった分野を学んだ経験がある人材を確保、または社内で地政学リスクや海外危機管理の教育を強化し、社員の育成を進めるべきでしょう。
また、マンパワー的に地政学リスクに対処する余裕がないという問題もあるかと思います。そのような場合は、地政学リスクや海外危機管理を専門に扱うコンサルティング会社、シンクタンクなどを利用することが勧められます。
地政学リスクという言葉が世論でこれまで以上に耳にする中、それを扱う企業が増加しています。
たとえば、筆者がアドバイザーを務めるコンサルティング会社OSC(オオコシセキュリティコンサルタンツ)でも、以前は犯罪や防犯などの治安リスクを取り扱うケースが多い傾向にありましたが、近年は台湾情勢などをはじめとした地政学リスク関連の業務量が増えています。同様にしてPwCやデロイトトーマツなどを含めたいわゆるビック4と呼ばれるコンサルティング会社でも、地政学リスクの部署が強化されています。このようなコンサルティング会社は地政学リスクに悩む企業に対してニーズに合った情報を提供し、どうやって対処するべきかを現実に見合った対策面でアドバイスをしていますので、状況に応じてコンサルティング会社を利用することも推奨します。
企業独自の取り組み、そしてその先を目指す経営策案も
最近では、独自的に、且つ積極的に地政学リスクに積極的に対処しようとする企業も見られます。たとえば、日立は昨年、渉外部門内に経済安全保障室を新設し、各国の政治や治安などに関する情報収集を強化しました。また、三菱化学は物流や調達などのリスクを総括するチーフサプライチェーンオフィサーという職位を新たに設けたとされます。このような流れはデンソーや富士通など他の大企業の間でも拡大傾向にあり、今後もこの傾向が続く可能性が高いと言えるでしょう。
地政学リスクを意識している企業の規模感の目安として、PwCによると、売上高5000億円以上の日本の上場企業のうち、昨年の年間報告書で「地政学」という単語に言及した企業は33%にも達し、前年の11%から3倍に増加したとされます。
また、筆者周辺の企業では、最近特に台湾有事への懸念を強め、政治と経済が表裏一体の関係にあることを直視し、台湾政府や中国政府の声明、中国人民解放軍の動き、中国によるサイバー攻撃や偽情報の流布、また米中関係やバイデン大統領の台湾問題を巡る発言などを注視する社員の方々が増えているように感じます。
また、中国や台湾が抱えるリスクを注視する一方、ASEANやインド、アフリカなどいわゆるグローバルサウスをさらに重視しようとする動きも見られます。
新たな経済フロンティアを開拓しようとしても、各国には中国や台湾が抱えるリスクとは異なるリスク(抗議デモやテロなど)があり、決して簡単なことではありません。しかし一方で、地政学リスクを的確にとらえ、それを前提に新たな経営モデルを構築しようとする企業の積極的な動きも見られます。
国際政治学者、一般社団法人カウンターインテリジェンス協会 理事/清和大学講師
セキュリティコンサルティング会社OSCアドバイザー、岐阜女子大学特別研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論など。大学研究者として国際安全保障の研究や教育に従事する一方、実務家として海外進出企業へ地政学リスクのコンサルティングを行う。