観光の価値
旅をすると旅先の地酒を飲みたくなります。地元の料理とのマリュアージュを求めて地酒を頂くのは何より幸せです。食事をしながら、地図を広げたり観光ブックを参照して、今日の道中を頭の中で辿ったり明日に備える、私にとって最大の旅の醍醐味です。訪ね損ねた場所や手に入れられなかった地元の特産品などを思い浮かべながら、一日の反省に地酒がふさわしいのです。また、旅行前に気づかなかった明日の行動予定に驚くべき発見があると嬉しくなり、酒量も増えます。不思議なことに、「地酒地消」が実践できる土地の飲食にはそれぞれ独特の味覚があり、地域を少し移動しただけで異なる味付けやお酒の種類が存在します。
古代ギリシャの大哲学者、ソクラテスが残した『無知の知』という言葉は有名です。「自分が無知な状態であることを自覚すること」であり、「真理を知るためのスタートラインである」ということが発言の意図です。物事の本質に近づくには、固定観念にとらわれない、思い込みを捨て去る、前提を疑う、ことが大切です。無知を悟ることでのみ他者からも知恵をつけることが許されます。少々大雑把ですが、これこそが観光というコト消費から創出される意味であり、価値だと思います。実際に現地に赴き、体験・経験をして初めて、自分の無知に気づき、地元の人の説話を聴いてこそ、本当の知見を身に着けることができるのではないでしょうか。観光は『無知の知』を解釈できる身近で絶好の機会に他なりません。
観光と人手不足
新型コロナウイルスも5類移行となり、3月13日からはマスク着用が個人の判断となるなど、インバウンド(訪日外国人)の人出も増加し、中国からの団体旅行も再開するように旅行市場は回復の基調です。円安で海外旅行を見送る人も目立ち、日本人の国内旅行も順調に推移しています。しかし、交通・宿泊・飲食など観光関連業界では特に人手不足が深刻化しています。労働生産性が低く賃金が安い上に、新型コロナの影響で従業員を減らしてきたことが原因です。今後の需要を取りこぼさないためにも人手不足への対応は急務です。
ネット通販が一般化したこともあり、モノよりコトを重視する最近のインバウンドのトレンドに対し、サービスの質を高めて質に見合った料金を設定することでサービス価格の値上げをはかる必要があります。宿泊や交通などで受け入れる人数を抑えたり、インバウンドそれぞれに向けた「おもてなし」のさらなる工夫で満足度と単価を上げることが可能です。また、ITの活用や業務の徹底的な見直し、AIやロボットの導入など様々な打つ手が考えられます。ただ、観光産業は家族経営など零細企業も多く、賃上げや設備投資などへの投資余力が限定されます。後継者の不足も問題化しており、廃業も目立ち始めました。運営力のある企業や団体による規模の拡大も検討する必要もありますが、地域に根ざして地域と共に発展する地域企業(コミュニティ・ベースド・カンパニー、CBC)などとの連携・協働を深め、付加価値が高く魅力ある観光商品・サービスを開発・提供することが必要不可欠です。
ニューツーリズム
ニューツーリズムとは、従来の観光旅行ではなく、テーマ性の強い体験型の新しいタイプの旅行とその旅行システム全般を指します。旅先での人や自然との触れ合いを重視し、地域活性化につながると同時に、旅行者の多様化するニーズに応える観光の提供を目指しています。実際、様々な形態が存在します。①産業観光。地域特有の産業に関する工場や製品、従業員などが対象で、工場の跡地なども含めて各地に観光資源となるものが点在しています。②グリーンツーリズム。農村に宿泊して農業や林業、土地の文化や自然などを体験する滞在型の観光です。漁村や離島などでの滞在はブルーツーリズムと呼ばれ、グリーンツーリズムに含めることがあります。③エコツーリズム。自然環境の保全や環境・地域振興、教育の現場、として推進することで観光客の精神的な満足感を高めることが期待出来ます。➃ヘルスツーリズム。健康維持や疲労回復を主な目的とした旅行です。医療水準が高くない国や地域に住む人々が別の国で治療や診察・検診、リハビリなどを受けるメディカルツーリズムも含まれます。⑤ロングステイ。一カ所に一週間以上滞在して生活する旅行です。働き方の多様性により、注目されています。『暮らすような旅』ともいわれています。⑥文化観光。2020年に文化庁により「文化観光推進法」が成立し、推進されるようになりました。旅行者が有形・無形の文化に触れることで、文化への理解を深め、経済発展への寄与も期待されます。従来型の観光に比べて集客が困難などの課題もありますが、都市部と農村部のコミュニケーションを活発化するなどのメリットも多く、これからの発展・拡大が期待されます。
オーバーツーリズム(観光公害)
世界の観光地でオーバーツーリズム(over tourism)が問題化しています。観光客の増加による交通機関の混雑や交通渋滞、ごみや騒音、トイレの利用など生活環境の悪化やマナーの問題が住民の反発を招いたり、自然環境・景観に対して受忍限度を超える負の影響をもたらすなどの状況を発生しています。このような状況は観光客の満足度を著しく低下させ、長期的には観光客の減少や住民の流出につながることから、世界各国の人気観光地では「持続可能な観光」のあり方を模索し始めました。そこで、需要と供給のバランスをコントロールして、必要以上に需要を喚起せず、ターゲティングした客層に重点的にアプローチする、デ・マーケティングという手法を導入する動きがあります。マーケティングにもアクセルとブレーキがあり、バランスが肝要です。大量にしかも安く売らないことでブランド力の向上にも貢献し、希少性を際立たせる方法です。マーケティングへのブレーキを念頭に、キャパシティに合わせた観光客の人数制限や入場制限、公共交通機関の利用を分散化する取り組み、観光地の過度な宣伝の抑制、一時的なメディアの取材制限、旅行目的地分散化への情報提供など、混雑の緩和をはかるために出来得る限りの施策を揃えて早急に導入すべきです。
交通渋滞やゴミ処理、騒音など観光地によって、それぞれの課題は異なります。観光客の誘致と住民生活を両立させるには、地元の事情に詳しい商店街や自治体、住民達、観光客も含めた解決策を探る必要があります。地域主導での一定のルール作りこそが解決法なのです。
株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。