都会のオアシス
かつて、神保町に「響」というJAZZ喫茶がありました。明治大学に近く、学生時代から神保町の古本屋街へ行った帰りによく立ち寄っていました。勤めていた会社も比較的近くにあったために、会社帰りや外回りに出かけた際に一息つくのが楽しみでした。特に高級なオーディオを揃えていたとは記憶していませんし、コーヒーも特別に美味しかったわけでもなかったような気もしますが、マスターが優しそうなのと全体的にまったりした雰囲気で居心地が良く、気分転換には持ってこいの場所であり存在でした。
現役時代は仕事で行き詰まったり、上司から厳しい叱責を受けたり、とんでもないトラブルに巻き込まれたりと気苦労が多く、そんな時でも、JAZZを聴きながら、読みかけの本を読んでいると、不思議に辛いことも少しの間かもしれませんが忘れられたような気がします。また、大好きなJAZZを聴いてリラックスしていると、今まで思いつかなかった面白そうな企画が頭に浮かんだり、うっかり忘れていた仕事を思い出したり、「忙中閑あり」のことわざ通り、頭を休めることの必要性を感じました。それこそ、とびきり居心地良い都会のオアシスでした。
ストレスとリラックス
VUCA(ブーカ:Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性))の時代に生きる我々にとって、ストレスはつきものです。ストレスとは不快な刺激によって生じる心身の反応です。医学的には「外圧に対して、心身が持ちこたえようとする防御反応」を指します。不快な刺激のことをストレッサーと呼び、これに対する心身の反応がストレス反応です。ストレッサーには4つの種類、①心理的、②社会的、③生理的、➃物理的、が考えられ、生きている限りストレスは存在します。そのため、ストレスマネジメント(ストレスと上手なつき合い方)が必要です。ストレッサーに対し、ストレスが起こることを予測して対応することがストレス予防には有効な手段です。このようなストレスに抗する「対処法」として、ストレスコーピングは幅広く研究されています。
脳がぼんやりしている神経活動を指すDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)という言葉があります。ぼんやりくつろいでいる時には脳の活動も低下していると考えられてきました。医学技術の進歩により、脳の機能を分析するとぼんやりしていても脳は活発に活動していることがわかってきました。くつろいでいる時、のんびりできる場所にいる時にひらめきが生まれやすいのはDMNが上手く機能して脳内の情報が整理整頓され、創造性が発揮できている証拠です。
「風呂」、「乗り物」、「寝床」など様々な場所でアイディアは誕生します。例えば、ギリシャの偉大な物理学者アルキメデスは風呂からアルキメデスの法則を、誰もがご存じの小説家の松本清張氏は通勤電車の中で、日本で初めてノーベル賞を受賞された湯川秀樹氏は寝床でというように創造の場も人それぞれです。常に集中とリラックスのバランスは人間にとって重要であり、仕事や勉強をやらされていると感じては自分の力を発揮できません。限られた時間でもぼんやり過ごす時間はストレスにも効果的です。
サードプレイス
サードプレイスは日本語では文字通り「第三の場所」です。ビジネスにおいてのサードプレイスとは「家庭でもなく職場でもない居心地の良い第三の場所」なのです。家庭や職場ではストレスを感じることもあり、ストレスから解放され、一時的でもリラックスして過ごせる場であるサードプレイスが不可欠です。現代社会はストレス社会です。我々にとってサードプレイスの存在価値は極めて高いのです。
生活の基盤に最も近く、生きるために必要な場がファーストプレイスであり、『家庭』を指します。そこには家族との関係からのストレスが存在します。セカンドプレイスは『職場』や『学校』などの場です。社会的な生活を営む場所であり、様々な人との関係を持ちながら過ごす場所でもあります。他人と良好な関係を築こうとするあまり、ストレスを感じるのは明らかです。ファーストプレイスからもセカンドプレイスからも受けるストレスから逃げ出すための場所がサードプレイスであり、リラックスでき自分らしく過ごせ、新しい発見や発想、出会いを見つけることができるのです。
米国の社会学者、レイ・オルデンバーグが提唱したサードプレイスには8つの定義があります。その条件とは①中立な場所、②平等な場所、③会話が重視される場所、➃近づきやすく親しみのある場所、⑤規則的な場所、⑥目立たない場所、⑦陽気な雰囲気のある場所、⑧家から遠くない場所です。これらの条件が整うことでサードプレイスが意味ある場となります。
人は群れる
いつでもどこでも人が集まっているスターバックスやドトールなどのコーヒーショップは広義ではサードプレイスだと考えられます。わざわざ、人が沢山いる場所で、PCやスマホを使用したり、読書や勉強をしても集中できないのではと思いがちですが、逆に適度な雑音と周囲に人が存在している環境の方が居心地良いのかもしれません。人の群れから外れる自宅でもなく、行動が縛られるオフィスでもない場所に身を置いて自分のやりたいことをやることはストレスマネジメントにもつながるのでしょう。もし、ひとりで自宅にこもっていても、一日の中でどこか別の場に自分の身を置くことを人間は欲しているのです。
ネット通販が進展し、買い物に行く機会が減少する傾向にあっても、多くの人は外出し、人の群れの中に身を置くことを望んでいます。マーケティング戦略もそうしたニーズに応えなければなりません。PCやスマホなどで買い物が便利になっても、全ての買い物を自宅やオフィス、乗り物の中などで済ましてしまうとショッピングの醍醐味や様々な人との直接の出会いはなくなります。これからは人の群れの中にいる人に対して、楽しく面白く居心地の良い空間をいかに提供できるかがマーケティングの重要なポイントとなります。そのためには店舗戦略や立地の選定を熟考し、工夫とアイディアの提供が求められます。
人は群れる動物であり、集団的な動機が行動の原動力となります。ストレスマネジメントを研究・実践するためにも、これからのマーケティング戦略を考える上でも、人が群れる行動原理は究めるべきテーマとなりそうです。
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パンデミック、自然災害、ロシアのウクライナ侵攻など、将来を予測することが困難な状態が続き、現代はまさにVUCA(ブーカ)の時代です。これまで人類が経験したことがないような変化が起こる中、必要とされるビジネス思考法や能力とは…。広告・マーケティング業界に40年近く従事し、現在は株式会社創造開発研究所所長を務めている渡部数俊氏が、VUCA時代のビジネスと消費行動について考察します。
株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェロー。広告・マーケティング業界に約40年従事。
日本創造学会評議員、国土交通省委員、東京富士大学経営研究所特別研究員、公益社団法人日本マーケティング協会月刊誌「ホライズン」編集委員、常任執筆者、ニューフィフティ研究会コーディネーター、CSRマーケティング会議企画委員会委員、一般社団法人日本新聞協会委員などを歴任。日本創造学会2004年第26回研究大会論文賞受賞。