“飲みづらい”グラス誕生の背景
「ゆっくりビアグラス」の画像
――まず、“飲みづらい”グラス「ゆっくりビアグラス」誕生の背景を教えてください。
株式会社ヤッホーブルーイング 河津愛美氏(以下、河津):私たちは、日頃から、エンターテインメント性のある企画を通じて、お客様に楽しみながら製品を知っていただく取り組みを続けています。
具体的には、まず企画立案で、5~10人程度の参加者それぞれが最近気になったことや思いついたダジャレなど、自由な発想でアイデア出しを行います。
その後、「製品との関連性」「社会との接点」「お客様の関心」という3つの観点で企画を絞り込んでいきます。
“飲みづらい”グラス「ゆっくりビアグラス」は、意図的に飲みづらく設計されたグラスです。適正飲酒(健康的な飲み方)を促進することを目的としており、2024年2月に厚生労働省が公表した新しい飲酒ガイドラインの方針とも合致しています。
お酒の楽しさも、二日酔いの大変さも知っている私たちだからこそ、“飲みづらいグラス”という逆転の発想が出てきたのだと思います。
河津愛美 ヤッホーブルーイング ごらく課(ブランドプロモーションユニット)
京都府出身。ニックネームは「まるちゃん」。15歳から芸人として活動。早稲田大学卒/業後、リクルートコミュニケーションズに入社、採用広告のプランナー・ディレクターとして勤務。その後外資系ベンチャー企業、フリーライターを経て、パーソルホールディングスのグループ広報を務める。2018年にヤッホーブルーイング入社、プロモーションに従事し、21年12月から管理職となり、ごらく課を立ち上げ、ブランドプロモーションの責任者に。
社会の空気を数字で掴む。企画の意義を伝えるために
――どのようなチーム体制でプロジェクトを進めたか、教えてください。
河津:ブランドプロモーション・広報・SNSチームの横断で、企画の初期段階からローンチまで計8名で進めました。
今回の企画に限った話ではありませんが、当社では広報である渡部が企画から入るケースが多々あります。プロモーション担当者は、ともすると自社製品の情報発信に注力する傾向があると思います。しかし、それではお客様や社会が本当に関心を持つ情報なのかという視点が欠けてしまうでしょう。企画段階から広報が参画することで、「自社が発信したい情報と社会が興味を持つ情報」のバランスを保つことができていると思います。
株式会社ヤッホーブルーイング 渡部翔一氏(以下、渡部):“飲みづらい”グラスは、一見するとジョークグッズとして受け取られてしまうリスクがあったため、この取り組みの背景や本気度を丁寧に伝えることにしました。
具体的には、まず、飲酒に関する課題を調査によって客観的かつ論理的に示すことで、企画の必要性を説明することに。仮説に基づいた設問を作成し、調査を実施しました。調査の結果、飲みすぎた経験を持つ人が多数存在すること、その中でも「ゆっくり飲むことを意識するようになった」という人が相当数いることが明らかになりました。
「なんとなく今の世の中ってこうだよね」という仮説から企画はスタートしていくことも多々あると思いますが、その「なんとなく」を定量化できないかを考えることが大事だと思います。
渡部翔一 株式会社ヤッホーブルーイング ヤッホー広め隊(広報) ユニットディレクター
東京農工大学大学院農学府修士課程を修了後、2017年ヤッホーブルーイングに新卒で入社。プロモーションユニットでPR起点の動画プロモーション「チーム“ビール”ディング」や、SNSを活用した製品プロモーションを担当。2019年に広報ユニット(ヤッホー広め隊)に異動し、2022年にユニットディレクターに就任。「隠れ節目祝い by よなよなエール」「ゆっくりビアグラス」などのPR領域を担当。
渡部:また、規模は限定的ではありますが、「ゆっくりビアグラス」を実際に体験できる場や販売の機会を設けることで、コンセプトの理解を深めていただけるようにしました。
さらに、これまで実施してきた適正飲酒に関する活動についても合わせて紹介することで、企画の意義を伝えるようにしました。
アルコール依存症や健康被害など、飲酒にまつわる課題は数多くあります。大手ビールメーカーは、適正飲酒を促すセミナーや啓発活動、意見広告などを展開していますが、私たちのリソースでは、そうした課題に正面から取り組むことは難しい状況です。
私たちができることは何だろう––。考えた結果、多くの方々に適正に、そして楽しくお酒を飲んでいただくための啓発に焦点を当てることにしました。背伸びをせず、自分たちの身の丈に合った形で、かつ社会に貢献できる方法を模索した結果が“飲みづらいグラス”という企画です。企画を進める過程でも、「私たちにできること」「私たちが取り組むべきこと」について、チーム内で繰り返し議論を重ねてきました。ユーモアを交えながらも、適正飲酒の啓発という軸はしっかりと保つことを意識しています。
1mmの追求が生んだ理想の"飲みづらさ"
――“飲みづらい”グラス「ゆっくりビアグラス」が砂時計の形になった背景を教えてください。
河津:どのような形であれば飲みづらくなるだろうと、小さなグラスや、センサーを埋め込んで手が近づくと逃げる仕様、非常に重たいものなど、自由な発想で案を出し合いました。30種類以上は検討したと思います。
さまざまなアイデアが出る中で、重視した要件は2つです。1つは「飲みづらさ」の実現、もう1つは「美味しく飲めること」です。クラフトビールのグラスとして、香りと味わいを十分に楽しめる形状を追求した結果、ワイングラスのような上部のデザインは変えられないという結論に至ったのです。加えて「飲みづらさ」を実現するため、グラスの中央部分を絞るという現在のデザインにたどり着きました。
渡部:砂時計のような形状は「時を刻む」という意味合いも込められています。ゆっくり飲むというコンセプトにも合致することから、最終的なデザインとして採用しました。
河津:試飲を行った際、飲みづらさに思わず笑いが起きる様子や、それを見ている周囲も楽しむ姿を目にし、確かな手応えを感じました。グラスを通じて、その場全体が明るく楽しい雰囲気になることを実感できたことが、企画を進める大きな自信になったと思います。
“飲みづらい”グラスというアイデアを形にするため、東京ガラス工芸研究所さんと協力して開発を進めました。当初は「飲みやすいグラスを依頼されたことはあるけれど…」と前例のない依頼に驚かれましたが、共に取り組んでいただきました。
グラスの飲みづらさを決める重要な要素は、砂時計のような形状の中央部分の太さです。1ミリ単位で太さを変えて検証を重ねました。その結果、5ミリでは液体がほとんど出てこず、7ミリでは普通に飲めてしまうことがわかり、最終的に6ミリが理想的な「飲みづらさ」を実現できる太さだと判明しました。
このように、パートナーさんとの協働なしでは実現が難しかった企画だと思います。
「ゆっくりビアグラス」の試作品の画像
短期的な数値ではなく、中長期的な関係性を重視
――目標は設定していましたか?
河津:具体的な数値目標を設定することよりも、この企画を通じてお客様の「ゆっくり飲む」という認識がどう変化するか、そしてどのような印象を持っていただけるかという点を重視していました。
ヤッホーブルーイングの考える「商品受益」「生活者の関心事とメリット」「世の中の関心事」の図
河津:今回のプロジェクトに限らず、私たちはいたずらに数値を追うというより、1人の方に深く共感していただけることを大切にしています。短期的な売り上げよりも、お客様に健康で幸せに長く製品を愛飲していただくことを重視しているのです。
今回の企画に対して「ビールの消費が減るのでは」といった声をいただくこともありましたが、心の健康を保ちながら長く愛飲していただける、中長期的な関係性を構築できると考えています。社長自らがこのような考えを持っているからこそ、この企画が持ち上がったときも「いいじゃん!」とすぐに賛同してもらえました。
「ゆっくり飲む」に共感の嵐 予想以上の反響に驚き
――発売後の反響はいかがでしたか?
河津:まず、認識形成を可視化する指標として、メディアでの実績を紹介します。テレビ14番組、新聞24件、Web約400件の合計約450件の報道があり、その反響は海外にも及び、アメリカ、ドイツなどの7カ国で計18件の報道がありました(2024年12月時点)。SNSでの反響も顕著で、テレビ朝日のTikTok投稿では約200万回の再生数を、日本テレビのYouTube投稿では約8,000件の「いいね」をいただいています。
また、お客様からの製品への関心も高く、限定10個の抽選販売には2,750件ものご応募をいただき、「購入したい」「プレゼントとして贈りたい」といった声を多数いただきました。特筆すべきは、当社の製品を飲んだことがない方や、今回初めて知った方からも、「ゆっくり飲む」というコンセプトに共感し、購入を希望する声が多く寄せられたことです。11月の再販でも、用意した60個が発売からわずか9時間で完売となりました。
「ゆっくり飲む」ことの価値を広めていきたいという思いで企画をスタートしましたが、実際には多くの方々が既にその必要性を感じておられ、具体的な解決策を求めていたことが分かりました。この予想を超える反響は、私たちにとって大きな驚きであると同時に、今後さらにこの活動を広げていく原動力となっています。
渡部:「ゆっくり飲む」という認識・行動変容に一定寄与できたと感じています。実際、お酒飲用者741人を対象とした調査で、「ゆっくりビアグラス」を認知していた94人のうち、実に77%の方が「お酒の飲み過ぎには気をつけようと思った」「お酒はゆっくり飲むようにしようと思った」「お酒をゆっくり飲むようになった」と回答するなど、具体的な意識や行動の変化が見られました。当初は10~20%程度の変化を想定していただけに、この結果は私たちの予想をはるかに超えるものでした。今回の企画の意義を裏付けるとともに、さらなる展開への自信にもつながっています。
■データが示す音楽×クラフトビールの親和性
――調査を説得力のある情報発信の手段のひとつとして重視されているヤッホーブルーイング様に、ヴァリューズの「Perscope」のデータを紹介いたします。今後の参考にしていただけますと幸いです。
「クラフトビール」と検索したユーザーのデータから、平均的なユーザーのペルソナ像として、どのような興味や関心を持っているかを把握できます。特に注目したいのは、クラフトビール検索者の余暇の過ごし方です。最も特徴的な傾向として、音楽鑑賞が挙げられます。
「Perscope」を活用し、「クラフトビール」の検索者データから、ユーザーの属性やライフスタイルを分析
渡部:音楽鑑賞との親和性が高いんですね。実は当社でも音楽に関するイベントを開催しておりまして、コロナ禍を除いて2015年から大体年に一度開催しているファンイベント「よなよなエールの超宴 in 新緑の北軽井沢」は、当社単独の企画ながら、1,000名もの方々に参加いただく大規模なものとなっています。キャンプ場という非日常的な空間で、自然とビールを存分に楽しんでいただける場として成長してきました。
このイベントにおいて、音楽は欠かせないコンテンツのひとつです。音楽を聴きながらビールを楽しむ心地よさや、ライブステージでの盛り上がりは、イベントの雰囲気を大きく作り上げています。私たちにとって、音楽抜きのビールイベントは想像できないほど、アーティストによるライブパフォーマンスは重要な要素となっています。
私たちは、単なるビール製造業としてではなく、ビールを中心に多様な楽しさを提供することを事業ドメインとしているため、音楽との親和性が高いというデータは、当社の方向性を裏付けるものとして、大きな納得感があると思います。
次は新たな広がりを生み出す段階へ
――最後に、今後の展望をお聞かせください。
渡部:一時的な話題提供で終わらせることなく、継続的な取り組みとして育てていきたいと考えています。発売当初の話題化を経て、現在は新たな広がりを生み出す段階に入っています。お客様に末永くご愛用いただけるよう、私たちも発信を続けていきたいです。
河津:これからは、飲食店やお客様のご自宅など、さまざまな場所での体験機会を増やしていく段階だと考えています。そして、体験いただいたお客様や飲食店の皆様から「ゆっくり飲むのも楽しい」という声が自然に広がっていくような、新たな波及効果を生み出していけるよう取り組んでいきたいです。
「ゆっくりビアグラス」の体験機会の参考情報:
“飲みづらい”グラス「ゆっくりビアグラス」全国50店舗の飲食店で提供開始/公式ビアレストランで“飲みづらい”忘年会プラン開始
取材協力:株式会社ヤッホーブルーイング
IT企業でコンテンツマーケティングに従事した後、独立。現在はフリーランスのライターとして、ビジネスパーソンに向けた情報を発信しています。読んでよかったと思っていただける記事を届けたいです。