地政学リスクに対しては“避ける”構え方が肝要
先月の記事では、不透明性と不確実性に溢れる地政学リスクに対して、企業が取るべき対策について説明しました。リスクに真正面から直面することになれば、企業が被る影響も大きくなるので、いかに事前に対策を徹底してリスクを回避できるかがポイントになります。よって、地政学リスクに対しては“それを倒す、解決する”というより“避ける”という構え方が重要になります。そして、リスク最小化のための回避策として、企業内に地政学リスクの担当者、担当部署を設置すること、地政学リスクに関する経験や知見を持った人材を確保すること、そういった専門コンサルティング会社やシンクタンクを利用することなどを提言しました。
そして、それらを円滑的に実行して行く上では、情報の収集と分析、そして共有が重要になります。いくら情報を収集・分析しても、それが社内でしっかりと共有されなければ意味がありませんし、たとえば現地の治安情勢については、本社から社員がいる各国(各都市)駐在所に情報がしっかりと共有される必要があります。しかし、ここで同時に重要となるのは、フェイクニュースなどに惑わされず、いかに信憑性のある情報をいち早く入手できるかであり、それが駐在員の安全の行方を左右する場合もあります。
ここでは海外に展開する企業に重要な情報を提供する資源として、最も基本となる外務省の海外安全ホームページの現状と問題点についてご紹介したいと思います。
「外務省海外安全ホームページ」も万全ではない?
外務省の海外安全ホームページは最も基本的な情報源で、既に多くの方々もご存知かと思われます。このサイトでは各国の政治や治安に関する情勢が細かく正確に紹介されています。
例えば最近の情勢、一般犯罪やテロ、抗議デモなどの動向や身を守るための対策など普段から役立つ情報が記されており、海外旅行の際にも一度はチェックする人が多いのではないでしょうか。海外に渡航する人にとっては最も基本的な情報源であり、また、渡航する人だけではなく、各国に多くの駐在員を派遣する企業などは日々この情報源をチェックしておく必要があります。
しかし、外務省の海外安全ホームページにもいくつか注意が必要です。まず、情報のアップデートが遅れている場合があります。周知のとおり、犯罪やテロ、政治情勢などは日々流動的に変化しますが、例えば、最新の犯罪統計やテロ統計が公表されたとしても、それがすぐ海外安全ホームページにアップデートされることは稀です。そもそも内戦や動乱で犯罪統計そのものが公表されない、そもそも公表される統計に信憑性がないなど各国によって特有の事情もありますが、情報が常に最新のものとは限らないという点には配慮が必要です。
また、海外安全ホームページでは国ごとにリスクレベルが表示されていますが、これは各国国内の政治動向や治安情勢を反映して評価されたもので、地政学上のリスクと全てが重なるわけではなく、おそらくリスクの潜在性は反映されていません。
典型的なケースが台湾の情報です。最近、台湾有事という言葉を聞かない日は少なく、日本企業の間でも懸念の声が拡大していますが、海外安全ホームページの台湾は“リスク0”となっています。これも台湾国内の政治や犯罪情勢を反映したもので、そこに中台、米中間の軍事的リスクなどは考慮されていないと思います。
外務省の海外安全ホームページ
憂慮されるロシア・ウクライナ、また、香港の地政学的情報は?
そして、今日、ロシアにはウクライナ国境周辺地域に「レベル4退避勧告」、それ以外の全土に「レベル3渡航中止勧告」が、ウクライナ全土に「レベル4退避勧告」がそれぞれ出されていますが、ウクライナ全土にレベル4が発信されたのは侵攻から10日ほど前の2月11日で、ロシアがレベル3レベル4になったのは侵攻後の3月7日でした。
ウクライナ情勢を巡っては、昨年の年明けあたりから本格的に軍事リスクが高まっていきましたので、本来であればその段階から徐々に海外安全ホームページのリスクレベルも上げられるべきだったと思われますが、ここからも地政学リスクの潜在性が常時反映されていない可能性が窺われます。
また、同様のケースは香港でも見られました。今日、海外安全ホームページで香港は「レベル1十分注意」になっています。しかし、引き上げられたのは2019年8月21日で、それ以前から香港では逃亡犯条例改正案に反対する抗議活動や治安機関と市民の衝突が相次いで報告されており、筆者も当時、「やっとレベル1が発信された」と周辺の専門家たちと声を合わせたことを鮮明に覚えています。
海外安全ホームページによるリスクと地政学リスクは別物として捉える
以上のように、海外に多くの駐在員を派遣する企業としては、外務省の海外安全ホームページが最も基本的な情報源になり、それを分析し、社内で共有していくことになります。しかし、それは決して万能薬ではありません。ここで指摘したように、情報のアップデートが遅れている、リスクレベルの評価に地政学リスクの潜在性が十分に考慮されていないという問題もあります。
現在であれば、台湾についてはレベル1に引き上げられてもいいような感じもしますが、外務省の海外安全ホームページでは未だ反映されていない状況です。このような事情にも、企業は配慮する必要があると言えるでしょう。
国際政治学者、一般社団法人カウンターインテリジェンス協会 理事/清和大学講師
セキュリティコンサルティング会社OSCアドバイザー、岐阜女子大学特別研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論など。大学研究者として国際安全保障の研究や教育に従事する一方、実務家として海外進出企業へ地政学リスクのコンサルティングを行う。