経済安全保障の視点から振り返る2023年の日中関係

経済安全保障の視点から振り返る2023年の日中関係

2022年にウクライナ侵攻が勃発し依然停戦の見えない中、今年10月にはイスラエルとパレスチナ・ガザ地区を実行支配するイスラム主義組織ハマスとの衝突が激化するなど、激しい波乱含みであった2023年。そのような世界的な衝突の渦にかき消されそうになりながらも、私たちは自国を取り巻く緊張関係にも着目する必要があります。本稿では、2023年にマナミナにて連載してきた日中を取り巻く地政学的緊張について総括。大学研究者としてだけでなく、インテリジェンス会社の代表取締役として地政学リスク分野で企業へ助言を行っている和田大樹氏が多数の視点から解説します。


波乱含みで幕が開けた2023年。その戦火は中東にも

早くも2023年が終わろうとしています。昨年は2月にロシアがウクライナに侵攻し、地政学リスクの焦点はウクライナ情勢に集中しました。そして、今年は10月にイスラエルとイスラム原理主義組織ハマスとの軍事衝突が激化し、今日では中東問題に焦点が当たっています。今年においては、緊張が続く台湾情勢に大きな緊張は走っていませんが、中国軍機による中台中間線超えや台湾の防空識別圏への侵入などは常態化しており、今後も緊張が続くことでしょう。

日中の経済、貿易摩擦の友好化は一筋縄にゆかず

一方、今年の世界情勢の中で、経済安全保障の視点から我々が深く認識する必要があるのが日中の経済、貿易関係です。今年、我々は中国との経済、貿易関係が一筋縄ではいかないことを思い知りました(以前からそうと言えばそうですが)。トランプ政権以降、米中間の貿易摩擦は激化し、それは米中貿易戦争と呼ばれるようになりましたが、その中でも最もヒートアップする半導体覇権競争に、日本は取り込まれるようになりました。

昨年10月、中国による軍備増強が続く中、バイデン政権は先端半導体が中国によって軍事転用されるのを防止するため、先端半導体および半導体製造装置の中国への輸出を制限する輸出規制を導入しました。しかし、それだけでは中国による先端半導体分野の獲得を防止できない恐れがあることから、バイデン政権は今年1月、先端半導体の製造装置で世界シェアを誇る日本とオランダに対し、同輸出規制に同調するよう呼び掛けました。日本側もこれに賛同すれば日中の経済、貿易関係に摩擦が生じることは織り込み済みでしたが、米国と同じく中国による軍事転用を警戒する日本は、3月に米国の要請に応じる形で中国向けの輸出規制を開始することを表明し、7月下旬から14ナノメートル幅以下の先端半導体に必要な製造装置、繊細な回路パターンを基板に記録する露光装置、洗浄・検査に用いる装備など23品目で対中輸出規制を開始しました。

その後オランダもこれに続き、分かってはいたものの、中国側の対日不満がいっそう膨らむ形になりました。中国政府は7月初頭、半導体など電子部品の製造に欠かせない希少金属ガリウムとゲルマニウムの輸出規制強化を8月から始めると発表しましたが、日本はガリウムの9割、ゲルマニウムの7割を中国からの輸入に依存しており、事実上の対応措置となりました。その後、中国共産党系の機関紙「環球時報」は、米国とその同盟国は中国による主要材料の輸出制限に込められた警告を十分に認識せよと題する社説を発表するなど、中国側は対立相手を米国だけでなく、他国を含めて捉えようとしています。この同盟国に日本が含まれないと判断することはできません。

今年春、日本が米国と歩調を合わせると発表した際にも、中国は風力発電用モーターやEVなどに欠かせない高性能レアアース磁石の製造技術の禁輸などを実行するとけん制、中国側の対日不満はいっそう強まっていきました。8月には福島第一原発の処理水放出に伴い、日本産水産物の中国への輸入を全面的にストップしましたが、これも中国側の対日不満の延長線上で考えられます。なお、この海産物輸入停止措置については、多くの中国専門家によると、中国国内で強まる共産党政権への不満の矛先を日本へ向けさせるためとの見解も示されています。

繊細な均衡を必要とする極東アジアのバランス。日本企業が着目すべきは

当然ながら、日中双方とも経済、貿易関係が悪化することは望んでいませんし、そうならないよう双方とも最大限の努力をすることでしょう。しかし、安全保障が絡む問題となると双方とも自らの国益を考え譲歩することはできません。先端半導体分野の輸出規制も、それが軍事転用され、結局は中国軍の軍備増強やハイテク化に繋がり、極東アジアの安全保障バランスが大きく変わるという安全保障上の懸念から実行されています。

今後も安全保障に関連する部分において、中国向けの輸出規制はいっそう強化され、それによって米中、日中間では経済、貿易の領域を舞台とした紛争が激しくなる可能性があります。日本企業はこういった点に着目し、対中ビジネスを今一度真剣に考えるべきでしょう。

この記事のライター

国際政治学者、一般社団法人カウンターインテリジェンス協会 理事/清和大学講師

セキュリティコンサルティング会社OSCアドバイザー、岐阜女子大学特別研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論など。大学研究者として国際安全保障の研究や教育に従事する一方、実務家として海外進出企業へ地政学リスクのコンサルティングを行う。

関連するキーワード


地政学

関連する投稿


台湾で新政権が発足〜今後の中台関係の行方〜

台湾で新政権が発足〜今後の中台関係の行方〜

2024年5月、台湾の新総統として頼清徳氏が就任したことは記憶に新しいところでしょう。新たに発足した頼政権によって中台関係はどうなっていくのでしょうか。また、それによって、日本はどのように影響が及ぶのでしょうか。国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


なぜ国家は経済や貿易を武器化するのか

なぜ国家は経済や貿易を武器化するのか

終結の見えない戦争や国家間の経済制裁など、依然として世界では不安定な情勢が続いています。本稿では、記憶に新しい2023年の半導体関連における日本の対中輸出規制や、それらの対抗措置とみられる中国によるレアメタル輸出規制などを振り返り、なぜ国家間での経済や貿易が「武器化」されるのかを、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が、ふたつの視点から解説します。


国際テロと地政学リスク

国際テロと地政学リスク

国家間の政治問題が取り沙汰されることが多い「地政学リスク」ですが、他にも学ぶべきこととして「国際テロ」の問題もあげられます。国際テロとは縁遠いと思われる日本。しかし、日本人が巻き込まれるテロ事件は断続的に起こっています。本稿では、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行う会社の代表取締役でもある和田大樹氏が、大きなニュースとなったロシアでのコンサートホール襲撃事件をはじめ、過去に起きたテロ事件を振り返り、国際テロの脅威について解説します。


米国大統領選を通じて見る、保護主義化する米国の貿易・経済政策

米国大統領選を通じて見る、保護主義化する米国の貿易・経済政策

日々様々な報道番組でも取り上げられている「もしトラ(もしもトランプ氏の再登板が実現したら?)」。その可能性は「ほぼトラ(ほぼトランプ氏の再登板が決まったようなもの)」とも言われる状況で、選挙後の日米関係だけでなく米中関係にも大きな懸念を早くも生んでいます。本稿では、今日繰り広げられている予備選の考察から選挙後の日米関係の変化の可能性まで、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行う会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


台湾では親米派が勝利、米国ではバイデンVSトランプが現実味 〜 今後の地政学リスクの動向 〜

台湾では親米派が勝利、米国ではバイデンVSトランプが現実味 〜 今後の地政学リスクの動向 〜

2024年1月。かねてから関心が高かった台湾の総統選選挙において、前政権の意思を引き継ぐ形で頼清徳氏が勝利しました。この結果により親米派は維持されますが、反して中国との関係はどのようになってゆくのでしょうか。また2024年最大の地政学リスクとも言われる米国大統領選挙も予備選挙が始まり、その動向には世界中が注目していると言えるでしょう。本稿では国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行う会社の代表取締役でもある和田大樹氏がそれぞれの大国の行方と地政学への影響について解説します。


最新の投稿


アパレル系の店舗アプリを知ったきっかけは「店員からの案内」が約6割【Repro調査】

アパレル系の店舗アプリを知ったきっかけは「店員からの案内」が約6割【Repro調査】

Repro株式会社は、アパレル系店舗アプリのインストール前後の利用状況に関するユーザー調査を実施し、結果を公開しました。


認知度の向上にはコンテンツマーケティングが必須と回答した人は9割以上!実施の結果、7割以上が成果を実感している【未知調査】

認知度の向上にはコンテンツマーケティングが必須と回答した人は9割以上!実施の結果、7割以上が成果を実感している【未知調査】

未知株式会社は、全国の企業に在籍する20〜60代の方を対象に「コンテンツマーケティングの実施・成果」に関する調査を実施し、結果を公開しました。


「美容成分オタク」のオンライン行動を分析!スキンケアの情報収集実態に見る、コミュニケーションのヒント|セミナーレポート

「美容成分オタク」のオンライン行動を分析!スキンケアの情報収集実態に見る、コミュニケーションのヒント|セミナーレポート

近年、美容インフルエンサーの発信により特定のスキンケア成分がフォーカスされ、「成分関心層」が増加しています。今回は、@cosmeを運営するアイスタイル社が保有する、日本最大級の美容に関する生活者データと、ヴァリューズが保有するオンライン行動データを活用。成分に関する情報感度の高いアーリーアダプター層に注目し、その裏にあるユーザーインサイトから、成分関心層と取るべきコミュニケーションを探ります。※本セミナーのレポートは無料でダウンロードできます。


官民連携の智略 ~ PPP/PFI

官民連携の智略 ~ PPP/PFI

高い効率性が求められるのは今や個人の仕事や学業の範疇にとどまらず、国の施策運営である公共事業などにもその思考傾向は浸透しつつあります。その結果、国は民間企業の協力を得て「官民連携」で公共事業を進めることでそれらを効率化し、さまざまな事業を支えている例が多く存在します。本稿では、このような「官民連携」で効率化を目指す手法のPPPやPFIなどについて、広告・マーケティング業界に40年近く従事し、現在は株式会社創造開発研究所所長を務めている渡部数俊氏が解説します。


観るだけでポイントが貯まる「TikTok Lite」はSNSビジネスを革新するか。TikTokユーザーデータと比較調査

観るだけでポイントが貯まる「TikTok Lite」はSNSビジネスを革新するか。TikTokユーザーデータと比較調査

動画視聴を通じてポイ活を行うアプリ「TikTok Lite」が注目を集めています。「TikTok」に少し変化を加えただけに思えるこのアプリですが、実は「TikTok」と同じぐらい勢いがうかがえます。そこで、本記事では「TikTok Lite」と「TikTok」のアプリユーザーのデータを分析し、双方の違いから「TikTok Lite」の人気の要因を探っていきます。


競合も、業界も、トレンドもわかる、マーケターのためのリサーチエンジン Dockpit 無料登録はこちら

ページトップへ