なぜ国家は経済や貿易を武器化するのか

なぜ国家は経済や貿易を武器化するのか

終結の見えない戦争や国家間の経済制裁など、依然として世界では不安定な情勢が続いています。本稿では、記憶に新しい2023年の半導体関連における日本の対中輸出規制や、それらの対抗措置とみられる中国によるレアメタル輸出規制などを振り返り、なぜ国家間での経済や貿易が「武器化」されるのかを、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が、ふたつの視点から解説します。


半導体をはじめ、レアメタル、水産物にもわたる輸出入規制の狙いとは

米中の間では、先端半導体を巡る覇権競争がエスカレートしています。バイデン政権は2022年10月、先端半導体が中国によって軍事転用されるリスクを回避するため、先端半導体関連で中国への輸出規制を強化しました。しかし、米国単独では中国による先端半導体そのものの獲得、製造に必要な材料や技術、専門家の流出などの抜け道があると判断したバイデン政権は2023年1月、半導体製造装置で高い世界シェアを誇る日本とオランダに対して米国と足並みを揃えるよう呼び掛け、日本は昨年7月、14ナノメートル幅以下の先端半導体に必要な製造装置、繊細な回路パターンを基板に記録する露光装置、洗浄・検査に用いる装備など23品目で対中輸出規制を始めました。

当然のことですが、中国はそれに強く反発し、昨年8月より半導体の材料となる希少金属ガリウムとゲルマニウム関連製品の輸出規制を強化し、これによってガリウムとゲルマニウム関連の製品を諸外国へ輸出してきた中国の業者は、事前に許可申請を中国当局に届け出ることが義務づけられました。日本はガリウムとゲルマニウムの多くを中国から輸入しており、これは一連の対中輸出規制への対抗措置と考えられます。また、中国は同月、日本による福島第一原発の処理水放出に伴い、日本産水産物の全面輸入停止という措置を取りましたが、多くの国々はそれを問題視しておらず、これもその延長線上で考えられるでしょう。

また、中国が独立勢力と位置づける台湾民進党の蔡英文政権の時、中台関係が冷え込みましたが、中国は台湾産のパイナップルや柑橘類、高級魚ハタなどの輸入を一方的にストップし、オーストラリアとの関係が冷え込んだ時も、オーストラリア産のワインや牛肉の輸入を突如停止しました。

経済的威圧はなぜ実行されるのか。ふたつの視点で分析する

こういった行為は経済的威圧と呼ばれますが、そもそもなぜ国家は関係が冷え込む、対立する国家に対して経済や貿易を武器化するのでしょうか。それには主に2つの理由があります。

まず、軍事的手段は極めてリスクが高いからです。ウクライナや中東では武力による激しい応酬が続いていますが、ウクライナに侵攻したロシアに対しては欧米や日本など40カ国あまりが経済的な制裁を発動しています。台湾有事の懸念が広がる中、中国が仮に台湾に侵攻すれば、欧米諸国が中国へ何かしらの経済制裁を課す可能性が考えられ、中国は軍事的手段を使うことで返って大きな経済的損失を被ることになります。よって、国家としてはいくら対立関係にあったとしても軍事オプションはなるべく控え、まずは輸出入規制や関税引き上げなど経済や貿易の領域を紛争化させ、経済や貿易を武器化することで相手に圧力を掛けることを優先します。

もう1つの理由は、経済の相互依存です。今日の世界では、多くの国々は他国から資源や製品、生活必需品などを輸入し、輸出しており、経済の相互依存が極めて深化しています。米中も対立関係にありますが、中国も米国も互いにモノを輸出入し合っていて、米中も経済相互依存の関係にあります。鎖国状態の国に対して経済や貿易を武器化することはできませんが、経済の相互依存関係が深化している今日の世界では経済の武器化は発生しやすい環境にあります。

この記事のライター

国際政治学者、一般社団法人カウンターインテリジェンス協会 理事/清和大学講師

セキュリティコンサルティング会社OSCアドバイザー、岐阜女子大学特別研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論など。大学研究者として国際安全保障の研究や教育に従事する一方、実務家として海外進出企業へ地政学リスクのコンサルティングを行う。

関連するキーワード


地政学

関連する投稿


地政学的リアリズムが促す日本企業の対米投資 〜 同盟強化とリスクヘッジの戦略

地政学的リアリズムが促す日本企業の対米投資 〜 同盟強化とリスクヘッジの戦略

2019年以来、5年連続で世界最大の対米投資国となる日本。戦後からの「日米同盟」を基軸とした日本の対米政策により、この関係は更なる深化が求められています。しかしこの深化にはメリットもある一方で、懸念されるべきリスクも存在します。流動的に変化する国際情勢の中、世界を相手にビジネス展開を進める日本企業にとって留意すべき点は何なのか、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


急増する世界人口 〜 地政学から見る未来の魅力的なマーケティング市場

急増する世界人口 〜 地政学から見る未来の魅力的なマーケティング市場

世界人口80億人を超え、あらゆる地域でさまざまな経済活動が行われている今、日本企業としてのグローバルマーケティングはどのように考えていけばいいでしょうか。本稿では、地政学観点から魅力的なマーケティング市場になり得る可能性を秘めた地域を抜粋。国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が細かく分析・解説します。


グローバルサウスの台頭とマーケティングの新機軸。注目の新興国とは?

グローバルサウスの台頭とマーケティングの新機軸。注目の新興国とは?

日本企業にとって重要な存在となりつつあるグローバルサウスの国々。一体それぞれの国とのビジネスにはどのようなメリット・デメリットがあるのでしょうか。また、日本企業の強みとは。本稿では、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が、グローバスサウス諸国の中からインド・インドネシア・ナイジェリアを取り上げ、各国を分析・解説します。


トランプ政権発足100日〜日本に対する二面的な姿勢とは

トランプ政権発足100日〜日本に対する二面的な姿勢とは

ドナルド・トランプ アメリカ合衆国大統領が2期目の政権を発足し100日が過ぎました。連日の報道でも見聞きする、膨大に発布されている大統領令や世界を騒がせている「トランプ関税」など、いまだ目の離せない状況が続いています。このような中、100日という節目を迎え、対日政策として懸念すべき点は何なのか、そして、グローバルマーケティングを担うビジネスパーソンとして着目し熟知しておくべき情報は何か、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


トランプ相互関税の政治的背景と狙い、グローバルマーケティングへの影響は

トランプ相互関税の政治的背景と狙い、グローバルマーケティングへの影響は

世界に混乱を巻き起こしている「トランプ関税」。アメリカにとって、その政治的背景と狙いはどのようなものなのでしょうか。世界の秩序と平和維持への影響も問われるこの問題について、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が多角的な視点より解説します。


ページトップへ