国際テロと地政学リスク

国際テロと地政学リスク

国家間の政治問題が取り沙汰されることが多い「地政学リスク」ですが、他にも学ぶべきこととして「国際テロ」の問題もあげられます。国際テロとは縁遠いと思われる日本。しかし、日本人が巻き込まれるテロ事件は断続的に起こっています。本稿では、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行う会社の代表取締役でもある和田大樹氏が、大きなニュースとなったロシアでのコンサートホール襲撃事件をはじめ、過去に起きたテロ事件を振り返り、国際テロの脅威について解説します。


国家間イシューだけでなく、国際テロも視野に入れた地政学リスクを知る

近年、海外に進出する、海外と取引がある日本企業の間では地政学リスクへの関心が強まっていますが、主にトピックとなるのは米中対立や台湾情勢、ウクライナ侵攻やイスラエル情勢など国家間イシューと呼ばれるものです。しかし、当然ですが地政学リスクがカバーする領域は何も国家間イシューだけではなく、最近ロシアで発生した大規模なテロのように、国際テロと言われるイシューも含まれます

3月22日、ロシアの首都モスクワ郊外のクラスノゴルスクにあるコンサートホールに武装した男たちが押し入り、現場にいた観客らに向けて自動小銃を乱射しました。当時コンサートホールには6000人あまりがいましたが、これまでに140人以上が犠牲となりました。

この事件では、イスラム過激組織イスラム国が犯行声明を出しましたが、欧米の情報機関や欧米メディアはアフガニスタンを拠点とし、近年は国際的なテロ活動を活発化させるイスラム国ホラサン州(ISKP)の犯行を指摘しています。2010年代半ばごろ、イスラム国はシリアとイラクの国境を跨ぐ形で広大な領域を支配し、その間にISKPのように、イスラム国を支持する武装勢力が中東やアフリカ、東南アジアや南アジアなど各地に台頭し、海外邦人の安全という視点からも大きな課題となりました。

21世紀に入り、2001年9月米国同時多発テロ事件(邦人 24人死亡)に代表されるように、2002年10月バリ島ディスコ爆破テロ事件(邦人2人死亡 13人負傷)、2005年7月英国・ロンドン地下鉄同時多発テロ事件(邦人1名負傷)、2005年10月バリ島同時爆破テロ事件(邦人1人死亡)、2008年11月インド・ムンバイ同時多発テロ事件(邦人1名死亡 1人負傷)、2013年1月アルジェリア・イナメナス襲撃事件(邦人10人死亡)、2015年3月チュニジア・バルドー博物館襲撃テロ事件(邦人3人死亡、3人負傷)、2016年3月ベルギー・ブリュッセル連続テロ事件(邦人1人負傷)、2016年7月バングラデシュ・ダッカレストラン襲撃テロ事件(邦人7人死亡、1人負傷)、2018年4月スリランカ同時多発テロ(邦人1人死亡、4人が負傷)などと日本人がテロに巻き込まれる事件が断続的に続き、2015年以降のチュニジア、ベルギー、バングラデシュ、スリランカで発生したものは全てイスラム国関連のテロ事件です。

今日、シリアとイラクを拠点とするイスラム国本体は支配領域を失い、大きな脅威とは言えない状況ですが、ISKPのようなイスラム国を支持する武装勢力は依然として各地で活動を続けています

国際テロは対岸の火事ではなく、日本での可能性や諸外国駐在にも警戒が必要

そして、近年はその中でもISKPが国際的なテロ活動を顕著に見せており、専門家の間では懸念が広がっており、その最中ロシアで大規模なテロが起こりました。

しかし、今回はロシアで発生しましたが、同様のリスクは他国にあります。ISKPは何もロシアだけを敵視しているわけではなく、米国やイスラエル、欧州や中国も頻繁にネット上で非難し、日本も決して例外ではありません

イランでは1月に大規模なテロがありましたが、ISKPはここでも関与が疑われ、ドイツやオランダ、オーストリアなどではドイツやオーストリア、オランダなど欧州ではISKP関係者の逮捕、テロ未遂事件などが相次いで報告されています。

また、ロシアの事件を受け、フランスとイタリアではテロ警戒レベルが最高水準に引き上げられ、マクロン大統領は今回の事件の実行犯が過去数ヶ月間、複数回にわたってフランス国内でテロを企てようとしていたと言及するなど、夏にパリ五輪を迎えるフランスはテロへの警戒を強めています。今後開会式が近づくにつれ、フランス全土で厳戒態勢が敷かれていくことでしょう。


諸外国に駐在員を派遣する日本企業としては、今回のロシアの事件を対岸の火事と捉えてはいけません。確証的なことが言えるわけではありませんが、今回のテロ事件ではイスラム国関連の犯行が強く指摘されており、そのイスラム国は欧米や中国なども敵視し、同様のテロ事件が発生するリスクは排除できません。企業としては、テロの標的になりやすい欧米やイスラエルの大使館、キリスト教やユダヤ教施設などに近づかないよう駐在員に注意喚起するなど、国際的なテロの動向にも注意する必要があるでしょう。

この記事のライター

国際政治学者、一般社団法人カウンターインテリジェンス協会 理事/清和大学講師

セキュリティコンサルティング会社OSCアドバイザー、岐阜女子大学特別研究員を兼務。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論など。大学研究者として国際安全保障の研究や教育に従事する一方、実務家として海外進出企業へ地政学リスクのコンサルティングを行う。

関連するキーワード


地政学

関連する投稿


米大統領選挙の行方 〜 日本企業が注視するべきポイント(台湾、朝鮮半島)

米大統領選挙の行方 〜 日本企業が注視するべきポイント(台湾、朝鮮半島)

全世界が注目する米国大統領選挙まであと2ヶ月。トランプ氏とハリス氏の攻防も熱を帯びてきましたが、いずれの結果においても政府間のみならず、日本企業の安定的かつ友好的な立場も維持したいものです。本稿では、米大統領選挙によって、日本企業にどのような影響があるのか、特に台湾情勢・朝鮮半島情勢についてフォーカス。国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


米大統領選の行方で日本企業が注視するべきポイントとは

米大統領選の行方で日本企業が注視するべきポイントとは

世界中の注目が集まっているアメリカ大統領選。再選を狙うトランプ氏銃撃事件に現アメリカ大統領バイデン氏の候補撤退表明など、日々さまざまなニュースが飛び込んできています。次期候補には誰が就任するのか、そして、その結果によって日米の直接の関係性はもとより、現在アメリカが抱える関係国との問題はどのようにして日本へも波及するのか。国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


中国はどのような基準で輸出入規制の対象品を選ぶのか

中国はどのような基準で輸出入規制の対象品を選ぶのか

世界の歴史を見れば分かりますが、国家と国家が紛争するのは、主に軍事や安全保障という領域でした。しかし、グローバルなサプライチェーンが毛細血管のようになり、国家と国家の経済の相互依存が深化している今日、国家と国家の紛争の主戦場は経済、貿易といった領域です。そして、国際政治が大国間競争の時代に回帰する中、諸外国の間では経済的威圧という問題に懸念が広がっています。本稿では、最近身近で起きている中国の経済的威圧について、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


台湾で新政権が発足〜今後の中台関係の行方〜

台湾で新政権が発足〜今後の中台関係の行方〜

2024年5月、台湾の新総統として頼清徳氏が就任したことは記憶に新しいところでしょう。新たに発足した頼政権によって中台関係はどうなっていくのでしょうか。また、それによって、日本はどのように影響が及ぶのでしょうか。国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が解説します。


なぜ国家は経済や貿易を武器化するのか

なぜ国家は経済や貿易を武器化するのか

終結の見えない戦争や国家間の経済制裁など、依然として世界では不安定な情勢が続いています。本稿では、記憶に新しい2023年の半導体関連における日本の対中輸出規制や、それらの対抗措置とみられる中国によるレアメタル輸出規制などを振り返り、なぜ国家間での経済や貿易が「武器化」されるのかを、国際政治学者としてだけでなく、地政学リスク分野で企業へ助言を行うコンサルティング会社の代表取締役でもある和田大樹氏が、ふたつの視点から解説します。


最新の投稿


DB型サイトでSEO施策を実行して対策ページが上位化するまでにかかった期間は"6か月"が最多【eclore調査】

DB型サイトでSEO施策を実行して対策ページが上位化するまでにかかった期間は"6か月"が最多【eclore調査】

株式会社ecloreは、同社が運営する「ランクエスト」にて、データベース型サイト運営者を対象に、SEOの実施状況やその効果について調査を実施し、結果を公開しました。


SEOに積極的に取り組んでいるサイトの9割以上が表示速度の重要性を認識!改善に取り組む目的は「顧客体験の向上」と「リピート率の改善」が上位【Repro調査】

SEOに積極的に取り組んでいるサイトの9割以上が表示速度の重要性を認識!改善に取り組む目的は「顧客体験の向上」と「リピート率の改善」が上位【Repro調査】

Repro株式会社は、Webサイト運営・管理者を対象とした、「Webサイトの表示速度改善についての実態調査」を実施し、結果を公開しました。


感性について ~ マーケティングとハプティクス

感性について ~ マーケティングとハプティクス

人には5感が備わっています。さらに突き詰めれば第6感という感覚も。それら人の持つ感性や感覚を補うべくあらゆる技術も日々進歩していますが、人のそれらの代替となるような技術はまだ未完の途上です。それほどに他に取って代われない私たちの感性・感覚。本稿では、広告・マーケティング業界に40年近く従事し、現在は株式会社創造開発研究所所長、一般社団法人マーケティング共創協会理事・研究フェローを務めている渡部数俊氏が、広告やマーケティングを通して人の感性の深さを説き、ハプティクス(Haptics)を用いて人の感覚の重要性を解説します。


イードとガイエ、リアルとデジタルの融合でアニメファンの推し活を支援する広告パッケージを提供開始

イードとガイエ、リアルとデジタルの融合でアニメファンの推し活を支援する広告パッケージを提供開始

株式会社イードと株式会社ガイエは、全国のファミリーマート、ローソン(※一部店舗を除く)に設置されているマルチコピー機で展開するコンテンツサービス「エンタメプリント」を活用した広告パッケージ「Anime Touch Ad」を共同開発し、販売開始することを発表しました。


ネオマーケティング、ボーダーリンクとの協業で在日外国人リサーチサービスを提供開始

ネオマーケティング、ボーダーリンクとの協業で在日外国人リサーチサービスを提供開始

株式会社ネオマーケティングは、株式会社ボーダーリンクと協業し、在日外国人リサーチサービスを提供開始したことを発表しました。


競合も、業界も、トレンドもわかる、マーケターのためのリサーチエンジン Dockpit 無料登録はこちら

アクセスランキング


>>総合人気ランキング

ページトップへ