マーケティング近視眼(マイオピア)とは何か?
新型コロナの影響により、企業は自社のビジネスを根本から再検討する必要がでてきました。飲食・旅行ホテルおよびその周辺業界はもちろんのこと、対面から非対面へ、接触から非接触へとビジネスのあり方が変化していくなかで、何を、どのように定義するのかについて企業は頭を悩ませています。
これらの難題について、各種のビジネス雑誌やWEBサイトではパーパス経営の重要性を説くものが増えてきました。パーパス経営は、企業の存在意義・目的(パーパス)を改めて定義し、ビジネスを考える経営手法を指します。変化の激しい時代だからこそ、パーパス経営は多くの企業に支持されています。私もこの考え方には概ね賛成です。
しかしながら私は、パーパス経営の実践に加えて自社のビジネス領域(ドメイン)を再定義することが企業にとってより一層重要だと考えています。変化が激しい時代に、自社は何を提供するのか、そしてそれはなぜなのか。こういった点を考えることで新しいビジネスの種を発見でき、その上で既存ビジネスをより冷静な目で見ることができるからです。
厳しい環境下では、現状の売上・利益を気にするあまり、中長期的なビジネスのあり方を見過ごし、最終的には取り残されてしまいます。たとえば日本企業はリーマンショックにおいてダメージが少なかったにも関わらず、GAFAやテスラだけでなくコカ・コーラやIBMなどの大企業にも勝てませんでした。このことからも、ビジネス領域を再定義する重要性は明らかです。
以上のように、現状のサービスを提供する志向が強くなりすぎるあまり、顧客志向が抜けてしまい、ビジネスの大きな転換の必要性に気が付かない現象は往々にして発生します。マーケティングの世界でこの現象は「マーケティング近視眼(マイオピア)」と呼ばれています。
衰退したアメリカの鉄道に見るマーケティング近視眼の事例
マーケティング近視眼はハーバード・ビジネス・スクールの教授であった故セオドア・レビット教授が1960年にアメリカのビジネス雑誌最高峰である「ハーバード・ビジネスレビュー」において提唱した概念です。
レビット教授は、マーケティング・マイオピアに陥って失敗した事例としてアメリカの鉄道会社の事例を紹介しています。レビット教授によれば、アメリカの鉄道会社は自社の事業を自動車や航空事業を含む「輸送業」というくくりで考えず、あくまで「鉄道業」という狭い範囲でしかビジネスを考えられなかったのが致命的だったというのです。
当時のアメリカの鉄道会社は広いアメリカ大陸を1日で結ぶという非常に高度な技術と多額の資本を持ち、ユーザー数も非常に多い、いわば世界最高の規模を誇る企業でした。しかしそんな技術がありながら、その後のモーダルシフトや航空ビジネスの活性化を取り込むことができず、衰退していったのです。
当時、アメリカは第2次世界対戦という大きな時代の節目を迎えたのち、1954年頃から自動車や航空事業が普及し始めていました。自動車会社は非常に小さく、個人事業主が趣味で開発を行っている企業も多くありました。今のようなGMやフォードといった企業ももともと大資本の企業ではなく、その後の自動車業界の急成長により巨大化したのです。
自社の鉄道業・鉄道サービスに縛られ、製品志向が抜けなかった鉄道会社と顧客が何を求められているかを常に考え、顧客志向で拡大したGMやフォードなどの自動車会社との差は明らかです。
ちなみに、フォードはとにかく安く車に乗りたいという顧客のニーズに応え、「黒1色、サイズも1つ、でも安い」T型フォードという自動車で圧倒的に市場を拡大しました。また、GMは「隣の人と同じクルマでは嫌だ。カラフルでかっこいい(かわいい)車に乗りたい」というユーザーの声に耳を傾けて、カラーバリュエーションやサイズ展開、複数ブランド展開を行って世界1位の企業となりました。
”アメリカの鉄道会社は自社の事業を自動車や航空事業を含む「輸送業」というくくりで考えず、あくまで「鉄道業」という狭い範囲でしかビジネスを考えられなかったのが致命的だった”
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次に、レビット教授の事例ではありませんが、マーケティング・マイオピアに陥らずに成功した事例として、アップルのiPhoneがあります。
アップルのiPhoneのサービス自体については説明は必要ないでしょう。当時の携帯電話の市場はブラックベリーやNOKIAがスマートフォンを投入し始めていた時期です。株価を常にチェックしたい金融系やメディア企業での利用が広がっていました。
しかしながらこの頃のスマートフォンは日本のポケベル程度の性能。ユーザーは結果的に、ガラケーとiPod、と2台以上の製品をポケットに入れて持ち歩かなければなかったのです。そこでアップルは電話、音楽、そして各種業務の3つを統合したiPhoneを開発。日本市場で50%以上のシェアを持つ強力な製品を提供しています。
もしアップルが、自社は音楽プレイヤーとPCメーカーだと考えていたらどうでしょうか。おそらくソニーのウォークマンをどのように超えるのか、拡大する中国PCメーカーとどのように戦うのかに気を取られ、伸びゆくスマートフォンを手中に収めることはできなかったように思います。
他にも、最近私のところに相談に来られた、ある大きな自動車関連の企業の幹部の方のケースもお伝えしましょう。現在自動車関連の業界は、若い人の車離れがすすんだこと、所有から共有へという流れの中で事業が下火になっています。
今後の事業について少し話をしてわかったのは、頭が自動車中心で考えるように最適化されすぎている点でした。そのため顧客が求めている「ある地点からある地点までスムーズに移動する」という顧客志向でビジネスを考えられていなかったのです。
以上のように、如何にして顧客のニーズの変化を捉えながらビジネスを拡大していくのかが重要です。その点において意識すべきは資本力やブランド力ではなく、顧客志向であることがおわかりいただけたでしょう。
マーケティング近視眼に陥らないための3つのヒント
では、マーケティング・マイオピアに陥らないようにするために、企業そしてビジネスパーソンはどのような工夫をすればよいのでしょうか。そのヒントは3つあります。
まず1つ目は、意図的に自身の知らないジャンルの知識を入手しようとすることです。人間は無意識で自身の興味のある情報のみを収集しようとする癖があります。この癖を現在のSNS社会、AIを活用した情報サイトが更に拍車をかけています。自身に興味がないと思われた情報は目に入ってこなくなってしまうようになっているのです。
そこで無意識的に自身と関係のない情報を手にするようにする必要があります。私が実践している方法のひとつは、「定期的に書店に行くこと」です。書店には様々な書籍・雑誌が並んでいますから、書店をぐるぐる回るだけでも、様々な情報に意図的に出会え、そこから購入することが可能です。
もうひとつは、主要なビジネス関連のWEBサイトをSNSでフォローすることです。これで自身が読みたいものだけでなく、重要な情報はすべて見出しを読むことが可能です。ホテル業界から飲食業、美容、法律改正などなどありとあらゆるジャンルに触れられます。
”私が実践している方法のひとつは、「定期的に書店に行くこと」です”
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2つ目のヒントは、常に「○○業を超えた1つ上の概念とは何なのか」を考えて、ビジネスの本質を考えるようにすることです。
鉄道会社のケースや自動車関連業の会社は「鉄道」や「自動車」そのものがビジネスではなく、「ヒトの輸送」を提供しているという点がビジネスの本質でした。これを別の業界、たとえば飲食業で言い換えると、飲食業とは「食事の場所」ではなく、「食事を通して自身や自身と周りの豊かな時間を提供する」のが本質だと言えるでしょう。
また、IT業であればユーザーや企業の効率や効果を最大にするのが本質であり、ヘルスケアであればヒトの生活を改善するのが業務です。このように、1つ上の概念、「このビジネスの本質は何か」から考える癖をつけることが重要だと考えます。
3つ目のヒントは、若手・中途採用者など考えが凝り固まっていない人を積極的に企画の場にいれることです。
既存事業にどっぷり使っていると、どうしても頭が既存事業を中心にした考え方になってしまいます。これは優秀な経営者であっても同様です。ですから、既存事業の考え方に染まりきっていない人から、フラットな意見をもらい、活用することが賢明です。
他にも最近は様々な有識者インタビューサイトなども登場してきていますから、このようなサイトを活用し、視野を広げることも重要になるでしょう。最後にマナミナの記事を活用し、マーケティング近視眼を防ぐための考え方について解説したいと思います。
2021年12月9日に公開された『伸びる「宿泊のサブスク」利用者はどんな人?』を見てください。
伸びる「宿泊のサブスク」利用者はどんな人?ユーザー数や属性、ワーケーション関心層の特徴も調査
https://manamina.valuesccg.com/articles/1571働き方改革やコロナ禍でのリモートワーク推進等により暮らし方が多様化する現代。ワーケーションへの関心も高まる中で、定額で全国の住居を利用できるサブスクリプション型宿泊サービスが登場しています。この新しい時代のサービスを利用するのはどんな人なのか?今回は、HafHとADDressの2サービスに着目し、ターゲットとなりうるワーケーション関心層と比較しながら分析していきます。
この記事は私自身、新しいライフスタイルが広がってきていると理解が深まった意味で非常に勉強になりました。旅先でのホテルといえば、普通はWebサイトで探すか、あるいは旅行代理店や駅で探すという視点が一般的だったと思います。しかしこの記事を読めば、宿泊サブスクサービスを提供するHafHのサイトに1ヶ月で30万回以上アクセスされていることがわかります。そして30万回もアクセスされているということは、サブスクサービスが一般的に普及する段階まで広がってきているのです。
これらの宿泊サブスクサービスには、定額で全国の居住を利用できるという特徴があり、リモートワークやワーケーションなどのトレンドに積極的な関東の20代・30代が支持していると分かります。そして宿泊サブスクサービスの広がりから考えると、旅館やホテル業は、旅館やホテルという法律的な施設区分で存在しているものではなく、ユーザーが快適に旅を終えるまでの滞在先という部分が本質だということも見えてくるでしょう。また、少し調べれば、Airbnbなどのサービスを主とする民泊の流行から続く流れをビジネスにしているということも見えてきます。
このような記事を「なるほど、ホテル業も大変だな」と思って終わりにしては勿体ないでしょう。社会の変化によって自社のビジネスにはどのような影響が出るのかという視点を意識することが大事です。顧客のニーズからビジネスの本質を考えることで、ビジネスの見方は確実に変わります。
変化が激しい時代だからこそ、トレンドをリードするユーザーの行動を考え、改めて自社のビジネスの本質が何なのかを考える癖を持つべきです。そしてマーケティング近視眼を防ぎ、新しい市場にも対応していくことが必要でしょう。ぜひ今回の内容を参考に、自社のビジネスに対する見方を考えてみてはいかがでしょうか。
▼関連記事:マナミナでは市場や消費者のトレンド・思考を切り取ったリサーチ記事を毎日更新しています。マーケティング近視眼に陥らないための情報収集のひとつとして、ぜひご活用ください。
世の中のトレンドがわかる市場調査、消費者のインサイトを探るユーザー調査など、行動ログ分析やアンケートによる自主調査を公開しています。業界動向をチェックしたり、企画書など資料作成のヒントに、ぜひご利用ください。
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株式会社森経営コンサルティング代表取締役。実家が老舗葬儀会社を経営していることから、将来は中小零細企業を救う仕事がしたいと経営コンサルタントを志す。東京大学大学院経済学研究科経営専攻卒業。東京大学ではものづくり経営論で著名な藤本隆宏教授に師事。卒業後、経営コンサルティング会社、ラクスル、Buysell Technologiesにて、経営企画、デジタルトランスフォーメーション、M&A、新規事業開発に従事。「どんな産業・規模の企業でも必ずデジタル化できる」を信念に大企業から中小零細企業のデジタルトランスフォーメーション、新規事業開発を推進。アフターコロナで取り組むべきデジタルトランスフォーメーション事例などをまとめた初の著書『アフターコロナの経営戦略』を発売。2021年2月8日『アフターコロナのマーケティング』を発売。