コロナ禍での事業構造改革を経て再び「攻め」へ
株式会社ヴァリューズ 代表取締役社長 辻本 秀幸(以下、辻本):2023年には新中長期経営戦略として「SHIFT 2025 and Beyond」を掲げられました。ここへの想いはどのようなものだったのでしょうか。
株式会社資生堂 代表執行役 会長 CEO魚谷 雅彦氏(以下、魚谷):バックグラウンドにあるのは、僕の着任時に中長期計画「VSION2020」をつくって進めていたことです。最初の3年で改革を進め、クリーンナップするところはして、あとの3年で伸ばしていこうと6年計画を経てていたんですね。ありがたいことにみんなが頑張ってくれて、2020年の売上1兆円目標を3年前倒して、2017年に達成することができました。
「VISION2020」3年の改革は成果へ
辻本:グロースが大きい中での前倒しだったので、本当に驚異的でした。
魚谷:それだけポテンシャルを持っている会社なんです。技術力、研究開発力、マーケティング、ブランド、社員の力、質の高い商品を作る工場も含めて、全てがうまく回ってくれたおかげでした。
世界中の社員を東京ドームに呼んで、ビッグなセレブレーションをやろうと思っていたぐらい、きわめてハッピーな2020年をみんなで送るはずでした。でもその後コロナが流行してしまうとは、誰もわからないですよね。
コロナ禍では観光産業や航空業界だけでなく、化粧品業界も実はすごく大きな影響を受けたんです。
株式会社資生堂 代表執行役 会長 CEO 魚谷 雅彦氏
辻本:マスクでメイクを控えるようになったり、外出を自粛したりしましたよね。
魚谷:2020年2~3月ぐらいから、毎日全世界の売り上げが35%ずつ減少していきました。3分の1の売り上げが消えて消滅するんです。当然、月次決算は赤字です。僕は思わず「こんなの続いたらどうなるんだ…」と眠れぬ夜が多くなり、何かのことがあれば金融機関に支援をお願いするという気持ちで、不安や危機感を持っていました。
そんな中だったので、残念ながら赤字事業や、利益率10%で持ちこたえているから、もう少し長期で見ようと話していたブランドも、この機会に会社の構造転換をすべきとなりました。
化粧品は、スキンケア、メイクアップ、フレグランスと3つの領域があります。日本はもちろん、グローバルでの成長を目指し「プレステージファースト戦略」を掲げていました。このような環境下で当時、TSUBAKIなどのパ ーソナルケア事業は 当社内での優先順位を高めることができず、 限られた経営資源の中、残念ながら商品開発、広告宣伝などに十分な投資ができないという現実がありました。
経営者として、この厳しい現実を直視する一方で、 社員に未来に向けて夢を持たせることができないのは、非常につらく申し訳なく思っていました。経営陣の間でも、様々な局面で今回の様な事業モデルの抜本的な転換を含めて、どの選択肢が最適なのかを常に議論してきました。
そこで、ブランドのポテンシャルを高く評価し、当社が十分にできないマーケティング投資や、社員の働きがいと成長機会の創造ができ、かつその思いをともに実現できるパートナーに託すことが、将来の成長のためにはベストであると譲渡する決断をしました。事業全体では規模は大きくないけれど、外から見ると特に資生堂を象徴するブランドだったので、いろいろな声がありましたね。
ただこの事業は、僕が入る前からトータルで利益率9%ぐらいなので、常にどうするのかと議論になっていました。
辻本:その集中と選択は、一本足打法というより、複数の柱をしっかり作りながらも、優先順位を考えて進められていたので、理にかなっていると感じていました。ブランド強化として、ハイブランドに軸足を置かれていましたよね。大きなメッセージだと思いました。
魚谷:これは2014年に始めた時に掲げた、原点の2つの方針があります。「長期の基礎をつくること」そして「グローバル」。グローバルで戦うためには、パーソナルケア事業では勝てないんです。世界にはジャイアントがいっぱいいますから。日本にも僕ら以外にたくさんいる。
でもプレステージ系の付加価値の高いビューティーのカテゴリは、資生堂の優位性やこれまで体現してきた価値、文化に自信がある。やっぱりここで勝負すべきだということが、選択と集中という考え方の中ではっきりしてきました。
事業売却下も「SHISEIDO WAY」を貫き社員を守る
魚谷:ただしあまり世間には知られていませんが、事業売却をする際も「SHISEIDO WAY」を貫いたんです。
例えばTSUBAKIをプライベートエクイティの会社に売却した際、2つの点にこだわりました。一つ目は、社員が移籍する際、雇用や雇用条件、年金など、資生堂のものをそのまま引き継いでもらうことです。
というのは、移行する社員は当然資生堂に入った社員で、外に行くことに抵抗があるわけです。今までは全体の事業売上の中で数%でしたが、専業になることで自分たちはこれしかないと、働き甲斐を持ってほしいと考えました。
もう一つは完全売却ではなく、35%の株を持つことです。そうすることで、もし何か約束と違う動きがあったときは、株主の拒否権でものを言える権利を残しました。今でも20%持っています。
また、アメリカで買収したbareMineralsもなかなか上手くいかず、売却することになりました。アメリカのプライベートエクイティだったんですが、その際も全員の雇用を確保してほしいとお願いしたんです。最初はあり得ないと笑われました。あるいは、いい価格を出すためには、資生堂サイドで雇用整理を全て行ってから渡してほしいと言われるわけです。
でも僕は、個人の判断で辞めるのは自由だけれど、基本的に全員が職を失わないことにこだわりました。コロナの期間でもあったので。そしてサインの数日前、交渉にあたっていたアメリカのトップが頑張ってくれて、相手を合意させたんです。
このことは社員全員が安心できるとすごく喜んでくれた。また、残っている社員も、これが資生堂の価値観だと感じてくれたんですよね。そこを僕は信念として貫きたかった。
そういうことが色々あって、コロナの真ん中でずっと苦しんできました。そしてそろそろコロナが明けていくに違いないという時、もう一度攻めにSHIFTしよう、そんな気持ちで打ち出したのが「SHIFT 2025 and Beyond」だったんです。
「SHIFT 2025 and Beyond」の概要
自社ブランディングを成功に導く視点
辻本:最後に世の中の経営者やマーケターの方に向けて、自社ブランドを成功させるために何が必要か、お話しいただけませんか。
魚谷:僕はブランドやマーケティングの講演にいった際、経営者の方に「皆さんにとってマーケティングを一言でいうと何ですか」と聞きます。一番多かったものは「販売促進」、次いで「調査」でした。お客様をもっと知ろうというのはマーケティングの基本的な部分ですが、市場調査をすること自体がマーケティングと捉えられることが多くありました。
当時も今も、CMOのポジションを置いている企業は少ない。数年前、電通や博報堂に調べてもらったところ日本の企業では十数%、一方アメリカのフォーチュン500社では四十数%でした。BtoB企業であっても約半分の会社にCMOがいるんです。
ということは、日本の会社では経営の真ん中にマーケティングが無いということです。真ん中にあるのは、研究開発、生産、営業。以前は営業本部の中にマーケティング本部を置く会社もありました。その中で市場の予測やシェアを考えてきましたが、これを変えていきましょうと。つまり、マーケティングを上位概念において、営業はそれを実現・実行する部門だという考え方にすることです。
研究開発も基礎技術も大切だけれど、お客様が何を求めるかを考え、一気通貫で進めていく。すると結果としていいブランドができる。このことを経営者がまず理解することが必要なんです。
辻本:この経営視界でCMOの立場ということですよね。
株式会社ヴァリューズ 代表取締役社長 辻本 秀幸
魚谷:メッセージは、マーケティングは経営の中枢にあるという考え方です。BtoBでもBtoCでもです。
また今の時代は、マーケティングのサイクルを動かす中で、DX化が大きな役割を果たします。マーケターも経営者も、テクノロジーがもたらす価値をよく理解することが大事です。一言でいうと、もっと好奇心を持っていこうということですね。
辻本:DXに距離感がある経営者もいらっしゃいますよね。デジタルプラットフォームを持つことが大事というメッセージが伝わります。
魚谷:経営者はIT部門の専門家になる必要はないんです。ただどうやってお客様のアテンションを得て、商品購入をしてもらい、お客様満足度を高めて、継続的に買っていただくのか。そのためのDXはどうあるべきか。
これってもう商売ですよね。商売にどう生かすのかといえば、経営者の仕事です。経営の根幹なんです。
辻本:数々の貴重なお話をいただき、ありがとうございました。
取材協力:株式会社資生堂
大学卒業後、損害保険の営業事務を経て、通販雑誌・ECサイトのMD、編集、事業企画に従事した後、独立。自身のキャリアを通じて、一人一人のポテンシャルを引き出すことが組織の可能性に繋がることを実感したことから、現在はマーケティングとキャリア・人材を軸に、人と組織の可能性を最大化できるよう支援をしています。