悩みを抱えた人の語りからこころと社会を学ぶ「夜の航海物語」のススメ〜現代社会とメンタルヘルス〜

悩みを抱えた人の語りからこころと社会を学ぶ「夜の航海物語」のススメ〜現代社会とメンタルヘルス〜

「カウンセリング」と聞いて、どんな印象を持ちますか?専門家とともに自分のこころを見つめる経験は、その後の人生の糧にもなります。臨床心理士の東畑開人氏の著書「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(新潮社)は、気付かないうちにあなたも染まっているかもしれない、孤独に陥りがちな現代社会の価値観に気づかせてくれます。「読むセラピー」と称された、カウンセラーとクライアント(依頼者)の夜の航海物語を、精神保健福祉士の森本康平氏が解説します。


春になりました。
新しい環境に移ったり、職場や家庭のなかでも、いろいろな変化が起きやすいこの時期は、晴れやかなイベントや新たな出会いも多いですが、自律神経が乱れやすく、メンタル不調になる人が多いとも言われています。今回は、調子を崩しがちな時期にオススメの本、東畑開人氏の「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(新潮社)を紹介します。

なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない

カウンセラー目線でのカウンセリングを大公開

個室で臨床心理士がクライアント(依頼者)の語りを聴くカウンセリングでどんなことが行われているのか、想像したことはありますか?カウンセリングを利用したことがない方にとっては、カウンセリングルームは、よくわからない、ブラックボックスのような存在かもしれません。
この本では、著者の東畑氏がカウンセラーとして、ご自身のカウンセリングルームで、タツヤさんとミキさんの2人の社会人の悩みを聞く話を中心に展開されます。(もちろん架空の事例です。)東畑氏自身がクライアントのカウンセリングが終わったあとでベランダに出てタバコを吸い、次のカウンセリングに向けて気持ちを切り替える場面から始まり、各章で、カウンセリングルームでの会話の様子が著されています。章と章とのあいだでは、読者と東畑氏が、小舟で夜の荒波を航海する物語になっていて、各章ごとに、クライアントが経験する様々なエピソードや語り、それに対する臨床心理士の応答や考察が展開されます。
東畑氏は、カウンセリングの事例をつうじて、こころを理解し、苦しさから楽になるための手助けとして、7つの”補助線”を読者に紹介します。また、クライアントが語る苦しさや、人間関係でのトラブル、あるいは、セラピストへの怒りの感情などに、カウンセラーが何を感じ、どう解釈するのか、そしてそこからどんな考察を得るのかを学ぶことができます。

7つの補助線

仕事をやめないといけなくなったり、パートナーに別れを切り出されたり、家族に問題が起きたり、大切な誰かや何かを失ったり…。それまで当たり前だった日常が突然失われてしまうような状況は、誰しもが経験することです。そうした危機的状況に直面したときに、一旦安全な状況に避難すること、つまり、休養をとったり、医療機関を受診したり、周囲の人を頼ったりすることは、マネジメントと呼ばれています。
一方、その後に自分は何を必要とし、何を求めて生きていくべきか、人生の新たな目的を探す段階はセラピーと呼ばれ、その過程では、クライアントは自分自身と向き合う必要があります。セラピーの段階で人の複雑なこころを理解し、複雑なままに扱っていくための技法として、東畑氏は、「馬とジョッキー」、「働くことと愛すること」「シェアとナイショ」、「スッキリとモヤモヤ」、「ポジティブとネガティブ」、「純粋と不純」そして最初に紹介した、マネジメントとセラピーのそれぞれに必要な、「処方箋と補助線」の7つの補助線を紹介しています。それぞれの言葉がこころにどんな補助線をひいてくれるのかについては、ぜひ本書をご覧ください。

小舟の時代の生きづらさ

東畑氏がこの本で伝えているのは、人間のこころのことだけではありません。本書のなかに繰り返し登場する、”小舟”という言葉があります。終身雇用制度が崩壊し、村社会のようなコミュニティも少なくなりました。多くの人が、会社や大きな組織に依存することなく、自分で人生の舵をとっていかないといけない。そんな、自己責任社会とも言われる現代を東畑氏は”小舟の時代”と読んでいます。
東畑氏のカウンセリングルームを訪れるタツヤさんやミキさんだけでなく、多くの現代人が、自分で稼いで生きるためのプレッシャーを感じ続け、それゆえに、どうにか自分自身の心をコントロールし、日々研鑽を積んでいるかもしれません。

人を頼ることのススメ

そんな小舟の時代には、たくさんの人が、多かれ少なかれ、孤独を抱えています。たとえ仕事でいろいろな人と関わっていても、困ったときに、素直な気持ちを伝え、弱い部分をさらけ出してでも頼れる存在が身近にいないと、人は孤独を感じるものなのだと思います。
東畑氏は、「こころは本来、誰かに守ってもらうものだ」と言います。人は本来、頼りあいながら生きていく存在なのであって、苦しいときは、誰かにSOSを出して、守ってもらって、そのうえで、自分にもできることをするべきなのだと。
この本では、こころの理解だけでなく、現代社会についての考察や、資本主義的な価値観が内在化された人々のふるまい、そして、小舟を操縦する個人どうしが、頼りあいながら生きることの大切さが書かれています。頼れないのは、過去に誰かに傷つけられた、あるいは期待を裏切られたからかもしれない。だけど、自分を見捨てたり、自分に悪意を向ける他者ばかりではない。困ったときにあなたを助けてくれる他者も、この社会にはいるはずだと。
人間関係の悩みや生きづらさを抱えている人、あるいは、身近にいる、苦しみを抱えた人の支えになりたいと感じている人は、ぜひご一読ください。

まとめ

臨床心理士の東畑氏は、相談に来るクライアントの語りから、一人ひとりの内面だけではなく、彼らに映る社会の在りようにも注目しています。人は無意識に、日常のなかで触れるいろいろなメッセージに影響を受け、自分自身の価値観を作っていくものです。自分がどんな価値観の社会で生きているのか、その社会ではこころはどんな風に振る舞いやすいのか、この本を読んで、ミキさんやタツヤさんの語り、そして東畑氏の考察から考えてみることが、あなたを人生の荒波から守ってくれるかもしれません。

この記事のライター

京都大学で臨床心理学を専攻後、デンマーク留学で社会福祉を学んだのち、障害のある方の生活支援や、精神科に入院中の方の面会や電話相談等を行うNPOの事務を経験。他、自死で大切な人を亡くした経験についての対話の活動や、子ども時代に逆境体験をした人たちのオンラインコミュニティの運営、若者向けのグリーフケアにも携わる。精神保健福祉士。

https://lit.link/morimotoko

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